寄り添い、寄り添われるという関係性 深い悲しみを通して描く「コウノドリ」第5話
幸せと不幸せが同居する「産科」という場所
西山瑞希の死産を知らないひかるが「赤ちゃん、元気?」と声をかけ、それに対して瑞希が「……かわいいよ」と振り絞った返答。瑞希は嘘をついていなかった。元気ではなくても、死産でも、赤ちゃんはかわいい。その実感がこめられた一言に私は三たび涙を流した。死産だった西山夫妻の娘、あかりちゃんは戸籍には名前が残らない。それでもあかりちゃんは二人の“家族”でありつづける。
産科という、幸せと不幸せが同居している分野で、患者が医師に心から寄り添ってもらっていると感じられる場面は少ない。産婦人科の診察は、女性にとって心身ともにデリケートな部分に触れるものだ。病院によっては、妊娠が判明しても妊婦に正面からは告げず「おめでとうございます」と言わないところもある。待合室には、不妊治療に悩む人、女性疾患で治療を受けている人など、様々な境遇の人がいるからだ。私の通っている婦人科では、診察室への男性の立入りが不可となっている。妊娠のために通っているのではない私にとっては、それがありがたい配慮であることは事実だ。
今の病院にたどり着くまで、私は何度も婦人科の診察で傷つき、そのたび病院を替えてきてしまった。孤独や不安を払拭してくれる医師に出会うことができなかったからだ。そのことが正しかったかは分からない。だが、今、誠意を尽くしてくれ、心から私の身体を慮ってくれていると感じられる医師の存在が、どれほど支えになるかは骨身に染みている。
次回第6話は、下屋の医師としての成長がますます問われることになりそうだ。医師は医師である前にひとりの人間である。当然であるはずのそのことを、かつてないほど濃密に描いていることこそ『コウノドリ』が多くの視聴者を惹き付ける理由なのだ。
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