自分の夢実現のために会社をも動かした! 恐るべし鉄ヲタパワー

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「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる」とウォルト・ディズニーは名言を残しているが、そう滅多に実現することはない。しかし、ここに1度ならず2度も夢を実現した編集者がいる。

憧れた列車の全貌

 今年6月末に新潮社を定年退職した名物鉄ヲタ編集者・田中比呂之さんが、最後に企画・編集した『昭和天皇 御召列車全記録』が、鉄道友の会が主催する島秀雄記念優秀著作賞の特別賞を受賞した。

 同書は昭和天皇が87年の生涯において、鉄道で移動した24万キロの乗車記録をまとめたものだ。鉄道マニア垂涎の要素として、機関車や乗車した車両の種類も、調査で確認できたものは掲載されている。

 天皇陛下が乗車する列車は「御召列車」と呼ばれる。運転に関わる人の数は、他の列車とは比べものにならないほど多く、車両はその時代の最高技術をもって製作された。鉄道マニアの間では、誰しもが憧れる最高峰の列車であるという。

 例に漏れず、田中さんも御召列車に憧れた一人である。いつか運行記録の全貌を明かした本を作る、そう心に誓っていた。

 2014年、「昭和天皇実録」の公表を迎えた。この実録は昭和天皇にまつわる毎日の出来事を、宮内庁が24年の歳月をかけ編纂し、61冊1万2千ページにまとめたものだ。田中さんはそこに移動の記録も仔細に綴られていることを知った。昔から知りたかった御召列車の全貌を明らかにする準備が整ったのだ。

 調査に費やした時間は3年あまり、取材した関係者は50人以上、あたった資料は5000を超えたという。この本を会社人人生最後に編集できた感想を田中さんはこう話してくれた。

「もともと御召列車の企画は、20年前に原武史さんを訪ねて相談したところから始まっています。それが私の定年が迫ってきてようやく具体化できた。『昭和天皇実録』の公開があと1年おそかったら、この本はできなかったでしょうね。編集作業はたいへんでしたが、鉄道マニア50年の『総合力』が試されているようでもありました。熟知している分野に、まだ未知の世界が広がっていることを知るのは、快感でもありました」

 この熱い思いはどこからくるのだろうか。その謎を解くヒントが2008年から刊行されたあるシリーズに隠されていた。

1つめの夢

 2008年5月に発売された日本鉄道旅行地図帳をご存知だろうか。全国を12エリアにわけ、今まで存在したすべての鉄道を正縮尺の地図に落とし込んだ画期的な地図帳である。この本を企画したのも当時営業部の雑誌担当として、取次をまわり、週刊誌や月刊誌の部数を交渉していた田中さんだ。書籍を編集する部署にいるわけではないにもかかわらず、企画立案から、実際の編集作業も行った上、もちろん営業も田中さんが担当した。

 そもそも地図帳の企画を思いついたのは、時刻表に掲載されている路線図が、誌面に収まるようにデフォルメされているのがわかりにくく、見にくいという怒りからだった。

「100万部売ります」と乾坤一擲の大口を叩いて会社を説得し、子供のころから欲しかった地図を自分の手で完成させたのが、地図帳シリーズだった。

 自分が欲しいと思っていたものを作りたい、その思いをぶつけ、ひいては会社組織をも動かしてしまった田中さん。まさに鉄ヲタ恐るべしである。

「日本初、ありそうでなかった正縮尺の鉄道地図」という謳い文句で発売されたこの地図帳は、当初の約束通り100万部を10号大阪編で突破した。メディアの取材も連日殺到し、結果的に3年間でシリーズ累計200万部を記録し、2010年には1度目の島秀雄記念優秀著作賞に選ばれている。

鉄道150年は3つめの夢?

 地図帳の成功により、田中さんは書籍編集を担当する部署へと異動した。2つめの夢実現に向けて動き出し、「昭和天皇 御召列車全記録」で、憧れの列車の運行記録を形に残した。田中さんは見事、子供の頃から胸にひめていた2つの夢を叶えたのだ。

 今年6月末に定年退職した田中さんは現在、時間を気にせず、近年はまっている駅舎の撮影旅行に出かける日々を過ごしている。「悠悠自鉄」と嘯きながら。

 最後に、こんな質問をしてみた。「鉄道への執念は消えてしまったのか」

「5年後の2022年、日本の鉄道は開業150年を迎えます。この大きな節目に日本の近代化と鉄道の発展をファンの視線で捉えた企画ができないかと夢想しています。今度はフリーの編集者として、企画を古巣に売り込もうかと考えています。駅舎巡りもその一環ですが……」

 退職してもなお鉄道マニア・田中比呂之さんの執念と夢想はいまだ消えることはなく、道半ば終着駅はまだ見えていない。

デイリー新潮編集部

2017年11月11日掲載

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