“皇帝”習近平が描く国家像 過激な粛清をおこなった「15世紀の明王朝」なのか
5年に1度の、中国共産党全国代表大会開幕式で、3時間半におよぶ大演説を行った習近平。居眠りする長老を尻目に、盤石の「一強人事」を貫き、「習近平思想」は党規約に盛り込まれ、その研究センターも設立されるという。
国の指導者というよりも、もはや前近代的な「皇帝」に近いようにも見える習近平。大国として近代化を進めるべき中国の指導者が、なぜ「皇帝」を志向するのか。時代の流れに、なぜ逆行しようとするのか。読み解く鍵は、彼の生い立ちにあると解説するのは『習近平と永楽帝』の著者、山本秀也氏(産経新聞編集委員兼論説委員)だ。
「習近平は、少年時代、共産党幹部だった父親の失脚に伴い、反党分子として拘束されるなど受難の日々を送る中、文化大革命で家族と引き離され、農村へ一人で送り込まれます。15歳の時でした。衣食住にも事欠き、横穴式住居に住み、数カ月ぶりに豚肉の配給にありついた時には、たまらずに『包丁でたたいて生のまま口に押し込んだ』と、のちに述懐しているほど。労働にあけくれる毎日で、正規の教育はほとんど受けていません。政治性、階級制を重視した農村からの推薦で入った清華大学でも、文革終了後しばらくの教育レベルは決して高いものではありませんでした」
習近平が、理想の指導者像と考えているのは毛沢東。そして毛沢東の愛読書は『明史』だった。
「漢民族にとって、清は北方からの侵略者であって、最後の王朝といえば明になります。明の初代で、貧農の子として生まれた洪武帝も、その息子の永楽帝も『字を知らなかった』と毛沢東は述べています。習近平は青年期に過酷な境遇で、教育を受ける機会をほぼ逸しました。大国の指導者に求められる国家像として、清朝以前の、中華帝国の残像を描いているのではないでしょうか」
長男ではなかった永楽帝は、父の洪武帝亡き後、帝位についた長兄の息子である甥を追い落として、その座を得ている。皇位簒奪者とのそしりから終生逃れることは出来ず、過激な粛清や対外拡張に走った。その動きが、習近平と多々重なることを、山本氏は指摘するのだ。
習近平が前近代的な「皇帝」を目指しているのだとすれば、不可解な中国の動きもよみやすくなる。IT技術が発達した現代で、果たして「皇帝」の座をいつまで守れるのかは、まさに「神のみぞ知る」ところなのかもしれないが。