永代供養に落とし穴 高野山の名刹「120億円」納骨堂ビジネスの破綻
「元暴力団幹部の坊主」
好正氏は愛知県名古屋市出身。高校卒業後、飲食店経営などを経て、暴力団系金融業者のもと、不動産、金融、債権回収といった分野で“腕”を磨いた。やがて名古屋で日の出の勢いだった山口組系弘道会に属していた兄貴分に誘われて稼業入りし、3次団体ナンバー3の本部長に就いた。経済ヤクザとして名を売ったものの、企業犯罪で逮捕され懲役3年半の実刑判決を受けて服役。出所後、別の山口組系3次団体に所属して上京、麻布十番に自分の組事務所を開いた。
そこで出会ったのが、六本木で「スナックのママ」をしていたひとつ年下の高木あぐり氏である。龍生院・好秀住職の長女だ。妹がいるものの、後継がいなかった。常連客となって通ううち、「龍生院の将来」について相談を受けるようになる。「じゃ、俺と一緒になるか。修行に行って、僧籍を取ればいいのか」と、“成り行き”のような形で結婚、稼業からは足を洗った。後に養子縁組で高木姓を名乗る。その際、好正氏の長男も高野山で修行の後、龍生院の僧侶となり、住職から一字をもらって秀芳と名乗った。
私が、初めて好正氏に会ったのは、「納骨堂プラン」を立てていた頃だった。「三田に元暴力団幹部の面白い坊主がいる」という風評が流れており、会いに出かけた。弁が立ち、交渉力のある人だったが、元暴力団幹部の履歴は消せず、それが納骨堂建設のネックとなった。暴排条例の施行と重なって、企業のコンプライアンス部門が龍生院の事業をことごとく弾(はじ)いた。
解体される前の龍生院には、本堂と墓地の間にプレハブの離れがあり、そこが好正氏の居場所で「作戦本部」だった。そこに行くと好正氏は、うまくいきそうでいかない状況を嘆くのが常だった。
「ホント、厳しいですね。私の存在が知られた段階でアウトになる。息子の秀芳を表に立て、私は完全に裏に引きこもるつもり。お山(高野山)に登ろうかと思っているんですよ」
が、それもまた難しかった。普通の金融機関は、名うての業者が顔を出す不動産謄本を眺めただけで手を引いてしまう。勢い、融資元は金利の高い外資系やファンドに限られ、急ぎのカネは高利金融に頼ることになる。墓地・納骨堂のコンサルも、一流所には相手にされず、絡むのは訳あり業者ばかり。経験の少ない30代前半の秀芳氏に完全に任せるわけにはいかなかった。
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(下)へつづく
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