故・羽田孜元首相の義弟が語る「省エネスーツ」と「小選挙区制」の思い出

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「人と人のつながりを持てた政治家」

 政治家ではない弔問客で、渡邊会長に強い印象を与えた男性がいた。長野県から駆け付け、手に手紙の束を握り締めていたのだ。

「その手紙の束ですが、全て羽田さんの直筆なんですよ。その方の説明では『学生時代に羽田さんに手紙を送ると、丁寧な返事を頂いて、それからずっとやりとりを続けさせてもらいました』ということでした。確かに羽田さんは仕事が終わると、届いた葉書や手紙に直筆で返信をしたためていました。その長野県から駆け付けられた男性は、棺の前で号泣しておられましたね」

 改めて、羽田元首相の人柄について訊いてみた。

「忖度という言葉が流行語みたいになったでしょう。羽田さんは絶対に忖度をしない人でした。とにかく誠実で、筋の通らないことは大嫌い。信念の人だけれども、人当りは極めて柔らかい。座右の銘かは分からないけど、『至誠天に通ず』という言葉を僕に教えてくれたのは羽田さんです。政治は心。あの人らしい言葉だと思います。羽田さんは声楽が好きで、腕前もなかなかのものでした。ずっと六本木男性合唱団に参加していて、自身も名誉団長。作曲家の三枝成彰さんが団長。僕も何度か行きましたけど、社会党や共産党の国会議員も参加しているんですからね。与野党なんていう垣根をすぐに越えて、人と人のつながりを持てた政治家だったと思います」

 政治家としてのエネルギーを全注入した政治改革だったが、小選挙区制が実現しても、二大政党制は誕生せず、今回の解散でも政治家が「世界を想って」選挙活動に臨んでいるとは到底、言い難い。

「羽田さんが見ていたら、何と言ったでしょうかね……。結局、信念を持つ政治家が作り上げた選挙制度だったわけですが、極めて残念なことに制度は受け継がれても、羽田さんの信念を受け継ぐ政治家は極めて少なかったということなんでしょう」

 戦後の日本で初めて小選挙区制が実施されたのは96年、第41回の衆議院議員総選挙だ。今回の解散で48回目の総選挙となる。

週刊新潮WEB取材班

2017年10月21日掲載

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