カズオ・イシグロ、渡英57年でも日本の名残り 関係者が語る

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「日本語レベルは5歳」

 ところが、本を通じて繋がっていた祖国との縁は、祖父の死で断ち切られてしまう。平井氏が話を継ぐ。

「渡英から10年の月日が経った頃、一家へ祖父の訃報が届きます。ご両親から聞いた話では、10代半ばのイシグロ少年は、いつか敬愛する祖父のいる日本に帰る気でいた。それだけに、喪失感は相当深かったと思います。当時は、気軽に何度も飛行機に乗ることはできませんし、今よりも日本、ましてや長崎はずっと遠い場所。彼は、祖父の死をもって故郷を喪失したのでしょう。以来、イシグロさんの中には日本への『傷』がずっとある。彼の作品が世界中の読者に親しまれている理由は、各々が失った過去の思い出や、大切にしている記憶などの『傷』と、どこかで共鳴するからだと思います」

 実父は10年前に亡くなったが、実母の静子さん(91)はロンドン郊外のケアハウスで暮らしている。

「お母様は、主婦として毎日の食卓に和食が並ぶような日本的な家庭を築き、イシグロさんにねだられ絵本を読んで聞かせた。数年前に、私が『カズオさんは、いつか必ずノーベル賞を取りますよ』と言ったら、『いつまで書き続けられるのかしら』と穏やかに微笑む、品のある奥ゆかしい方です」(同)

 英国の大学院を卒業した彼は、小説家を志す傍ら映画にのめり込み、「東京物語」の小津安二郎監督や、「浮雲」の成瀬巳喜男監督の作品で母国への想いを膨らませた。

 82年のデビュー作『遠い山なみの光』と2作目は日本が舞台だったが、インタビューでは、“幼少期の日本の記憶を、忘れないうちに残しておきたかった”と語る。3作目の長編『日の名残り』では英国最高の文学賞・ブッカー賞を受賞。イギリスを代表する作家としての地位を築き上げたのだ。そんなイシグロ氏は、言葉に纏わる尽きない悩みを抱えているという。

「彼は、日本語を十分に操れないのが残念だと思っていて、『自分の日本語レベルは5歳』と口にしていた」

 と明かすのは、30年来親交がある在英の映像プロデューサー・吉崎ミチヨ氏だ。

「私と彼とは『イシグロサン』、『ミチヨサン』と日本語で呼び合いますが、イギリスに住む日本人同士、日本風に言いたいですよ」

 そんなイシグロサンが来日した折には、こんなこともあったと続ける。

「顔が日本人だから、レストランでは日本語でオーダーを聞かれたけど、満足に答えられず気まずい思いをした。以降はホテルのルームサービスで済ませてしまったそうです」

 そんなシャイな一面を持つイシグロ氏も、両親とは英単語を豊富に交えた日本語で話していたというが、

「それでも意思疎通はスムーズにいかないこともあるでしょう。私の息子が、彼に日本語を学ぶ相談をした時は、バイリンガルになることを薦めていましたね」(同)

 今と違って、イシグロ氏が青春を過ごした70年代の英国は、日本人学校も整備されていなかったのだ。

「当時は、非白人へのイジメが少なからずありました。学生時代を知るクラスメイトの友人は、『イシグロはプリテンシャス(気取った)というあだ名がつけられていた』と教えてくれました。きっと、クラスで自分達より奥深い英語力を駆使する彼への嫉妬があったのでしょう。大人になった彼を知る英国人は皆、決して自分を押し出さない、奥ゆかしく謙虚な人柄に感銘を受けますが、それこそイシグロサンの日本人的な特徴でもあるのです」(同)

 自分に刻まれた“日本の名残り”を融合できたことが、多くの読者を魅了する原動力になったに違いない。

週刊新潮 2017年10月19日号掲載

ワイド特集「人生の残照」より

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