深海で今夏同時発見「インディアナポリス」と「伊58」 2人の艦長の苦悩
マクベイの名誉
他方で橋本は、かつて別の潜水艦に乗って真珠湾攻撃に参加した経緯もあってか、現地での慰霊行事には出席を控えてきた。
「父は、インディアナポリスが原爆を積んでテニアンに行ったという事実を戦後に知りました。『もしあの時、一人でも米海軍の乗員を引き上げて尋問していれば、原爆のことが分かったかもしれない。そうすれば投下前に本国に注意喚起ができたのではないか』と悔やんでいたのが印象的です」(同)
橋本の戦後の人生には、こうした長男の言によってある“像”が浮かんでくる。人は自らの意思に反して歴史の渦に巻きこまれるのだ。昭和20年7月のあの日、日本の潜水艦艦長と米国の重巡洋艦の艦長とが太平洋の海上で出会う。敵味方に分かれた戦いの果てに、2人は誰にも伝えられない苦しみに出会ったのである。
1990年、マクベイの息子に招かれてハワイへと赴いた橋本は、その折にインディアナポリスの生存者とも再会を果たした。のちマクベイの名誉回復に向けた署名運動に積極的に協力したのも、心中にある敵将への畏敬の念からだったのであろう。クリントン政権下の2000年10月30日、米上下院でようやくマクベイの名誉が回復された。奇しくも橋本は、その5日前に91歳で世を去っている。
この夏、日米の調査団が立て続けに両艦を発見したのは、いかなる縁ゆえなのであろうか。
***
[3/3ページ]