深海で今夏同時発見「インディアナポリス」と「伊58」 2人の艦長の苦悩
奇縁の両艦長が織り成した人間ドラマ(下)――ノンフィクション作家・保阪正康
原爆部品を運搬する密命を受けた米重巡洋艦「インディアナポリス」が、旧日本軍の潜水艦「伊58」の魚雷攻撃によって沈没したのは、昭和20年(1945年)の太平洋戦争末期のことだった。それから72年後の今夏、奇しくも両艦が相次いで海底から発見された。チャールズ・バトラー・マクベイ、橋本以行(もちつら)の2人の艦長のドラマに、ノンフィクション作家の保阪正康氏が迫った。
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戦時下のインディアナポリス沈没を第一幕とするならば、続く第二幕は“勝ち戦”をおさめた橋本の、米軍事法廷への証人出廷である。米軍側は、
〈橋本はインディアナポリスが原爆の部品を運んだことを知っていて、だから撃沈したのではないか〉
そう疑い、さらに生き残ったマクベイについては、
〈沈没に際して何ら有効な手立てを講じず、多くの乗員を死に至らしめたのではないか〉
と、艦長としての責任を問うていた。
終戦4カ月後の1945年12月、橋本は米軍のダグラスC‐54輸送機などに搭乗し、横須賀基地からハワイ、サンフランシスコなどを経てワシントンの海軍基地へと連れて行かれた。
橋本はこの軍事法廷で、いかにしてインディアナポリスを沈めたかを証言している。同艦が原爆の部品を運んだ事実についてはまるで知らなかったため、米軍側がこの点を改めて問うことはなかった。
法廷ではマクベイとも会い、なぜ当日の夜、ジグザグ航行で攻撃を回避しなかったのかが争点になっているとわかった。橋本は、インディアナポリスが護衛なしに単独で行動していたことから、次のように陳述した。
〈相手がジグザグ航行をしていようがいまいが、あの状況ならば自分は必ず仕留める〉
マクベイの操艦に非があったのではないと擁護したわけだ。それでも、乗員の遺族の反感はきわめて強く、有罪判決が下されて第二幕は終わった。
マクベイは海軍上層部の責任回避のため、一切の責任を負わされてしまったのである。
〈艦長の指揮は何も間違っていなかった〉
生き残った300人余りの乗員らは懸命に励ましたが、一部の遺族からは「殺人者」と罵倒され続け、撃沈から23年後の1968年、70歳のマクベイは自ら命を絶って人々の記憶から消えていった。
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