「細川」「小沢」「小泉」を手の平で転がした、小池百合子の魔女語録
栄枯盛衰、風が止めばそこから飛び去る。「政界渡り鳥」と呼ばれた小池百合子氏(65)が、遂に着地したのが「都知事」の座だった。「女帝」として国政を揺るがす存在となった今、時の権力者たちを手の平で転がしてきた魔女語録を見れば、自ずとその“正体”が明らかになってくる。
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ニュースキャスターを経て、細川護熙氏が旗揚げした日本新党から、政界デビューを果たしたのは1992年。ところが、1年ももたずに政権が瓦解すると、彼女は細川氏をこんな風に評してみせた。
〈問題は、大事なことほど、「代表一任」というかたちで進めてきたことです。(中略)これでは党内の民主主義は確保できなくなります。“日本新党の旗があったからこそ議員になれた。だから後は黙ってついてこい”、では議員個人の考えや一票を投じてくれた有権者を無視することになってしまいます〉(「週刊ポスト」94年5月20日号)
国民の支持を失ったと見るや、その実態を“告発”。自らの正当性を主張した彼女は、小沢一郎氏率いる新進党へと合流したのだ。
その頃、改めて細川氏との蜜月時代を問われれば、
〈ついて行けないというか、今の時代じゃないなと思う。またどこかで局面が来るのかもしれないけれども。(そう感じたのは)総理大臣を辞めちゃったときですよ。途中でバーッと放しちゃうのね〉(「サンデー毎日」95年12月31日号)
決別から1年余りで“産みの親”を「時代遅れ」と揶揄した彼女は、“育ての親”に選んだ小沢氏について、
〈私自身も最初は、新生党は「第二自民党」で、小沢さんも「怖い人」というふうに見ていました。しかし、いろんな局面をみていると「これはちょっと違うんじゃないか」と思うようになった(中略)なぜ小沢さんが党首をやらないのかという歯がゆさを持ってた〉(同)
権力と添い寝
そんな師への慕情は、2年後に恋心へと変わる。
〈政界全体が「小沢」を軸として動いています。政策の立案能力、力量も含めて、いまの小沢さんを超える存在はいない。橋本首相だっていまごろ所得税減税なんて言っている。私たちが小沢さんとやってきたことに間違いはありません〉(「週刊朝日」98年1月16日号)
そう絶賛された小沢氏は自由党を結党、自民と連立を組み与党の仲間入りを果たす。彼女は経済企画政務次官に抜擢され権力の階段を駆け上る中、一層の賛辞を惜しまなかった。
〈(小沢さんを信頼しているんですね、という質問に)ちょっと盲目的すぎるかな。でも、日本の政治家には稀有な存在です。党首のあの爆発力は信頼できます〉(「AERA」99年11月29日号)
〈小沢党首にはパラダイムを変える力があります。ああいう政治家が、日本にあと百人いればいいんです〉(同)
ところが、2002年には小泉純一郎総理へすり寄って自民党へ入党。閣僚に抜擢されるや前言を翻すのだ。
〈小泉氏の「明」に対し、小沢氏の「暗」。言い換えれば、外へ向うエネルギーの大きい小泉氏に対して、小沢氏はひたすら内向きのエネルギーが充満する〉(「文藝春秋」08年1月号)
〈小泉氏の言葉の選び方や発し方の切れ味は抜群に優れている。これは天性のものとしか評しようがない〉(同)
すっかり自民の有力女性議員になった彼女は、当時は民主党幹事長で「陸山会事件」で矢面に立たされた小沢氏を斬って捨てた。
〈「国民の生活が第一。」という聞こえのよい言葉が、実は「選挙が第一」であることは、政権交代後の相次ぐマニフェスト破りの実態が証明している〉(新潮45別冊「櫻井よしこ編集長『小沢一郎』研究」10年4月)
〈小沢氏の二〇年間は、日本の失われた二〇年とぴったり重なる。さらなる混乱は、世界史における日本の存在を危うくする〉(同)
むろん、当時の世評として聞けば正鵠を得てもいる。けれど、自らその権力と添い寝してきたことは棚にあげ、政局に明け暮れる小沢氏をこうも批判してみせた。
〈我こそは日本にとって必要なことをやっているのだから、それを邪魔する人間は徹底して排除する。これが小沢ルールである〉(同)
今や政治手法として「排除」をカードに使う小池氏は、最後にこう宣言した。
〈小沢ルールによる小沢ゲームにずっとつき合い続けるわけにはいかない〉
“因果応報”という自省の念が、魔女の語録に記される日は来るのだろうか。