小池新党、頼るは主婦たちからの“反乱票”
現在、一大旋風を巻き起こしている小池都知事だが、ニュースキャスターから転じて、細川護熙代表率いる日本新党から参院議員に初当選し、政界デビューを果たしたのは1992年のこと。
それ以降、時々の権力者に食い込んでは政党を転々とするから、ついたあだ名は“政界渡り鳥”。
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細川連立政権が退陣したあとには、小沢一郎代議士が立ち上げた新進党に参加し、広告塔の役割を務めた。
ところが、2002年には自民党入りし、小泉純一郎元総理に接近。その甲斐あってか、第1次小泉政権では、環境大臣に抜擢され、クールビズを手掛けることに。
永田町ウォッチャーが解説する。
「やはり、小池さんの勝負師としての本領が発揮されたのは、05年の郵政選挙です。小泉総理の求めに応じて、郵政民営化に反対する議員への刺客として真っ先に志願。兵庫6区から縁もゆかりもない東京10区に乗り込み、しかも、選挙戦では圧勝でした」
その後、安倍内閣で防衛大臣に就くも、07年の参院選大敗をきっかけに政権が倒れると、翌年の自民党総裁選に立候補したものの、あえなく敗北を喫した。
「続いて、安倍総理の再登板となる12年の総裁選では、防衛大臣に取り立ててくれた安倍さんではなく、新進党で同僚だった石破茂代議士の支持にまわった。そのため、安倍さんの不興を買い、重要ポストを任されることはなく、ずっと閑職に追いやられていました」(同)
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