「安室奈美恵」引退は美談か 山口百恵との大きな違い

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後ろ盾となる男性の存在

 ライジングプロ所属時代の安室の年収は約6億円だったとされる。今回の引退表明後の1年間で、その倍、あるいは3倍は稼げるのではないか。そんな声も上がっているが、一体、この戦略は誰の案なのか。取り沙汰されているのは、10年ほど前から安室のツアーやコンサートを取り仕切っている50代の大物プロモーターの存在だ。そのプロモーターと安室との関係については後で詳述するとして、まずは彼女の歌手としての足跡を振り返っておきたい。

「沖縄アクターズスクール」の練習生だった安室の才能を見出したのはライジングプロの平哲夫社長(71)である。「スーパーモンキーズ」としてデビューしたのは1992年、中学3年の時。しばらく鳴かず飛ばずの時期が続いたが、95年、実質的なソロ活動開始後にリリースした「TRY ME」が大ヒットした。その後、小室哲哉とタッグを組み、ミリオンセラーを連発。先に触れた「アムラー」が流行語大賞のトップ10に入り、「Donʼt wanna cry」で史上最年少の19歳でレコード大賞を獲得したのは、96年のことである。

 私生活での転機が訪れたのは、翌97年だ。ダンサーのSAMと「デキ婚」。1年間の産休に入り、98年に無事、男児を出産した。

「安室には、常に後ろ盾となる男性の存在がある。最初はライジングプロの平社長。そして小室哲哉プロデュースの時代があり、結婚したSAMの影響を受けていた時期もあった。表向きはこだわりの強い自立した女性像を打ちだしていますが、実際には彼女は常に自分を演出してくれる男性に頼って生きてきたわけです」(先の唐沢氏)

 20代の安室は不幸続きだった。実母の恵美子さんが惨殺される事件が起こったのは、99年、21歳の時。その3年後にはSAMと離婚し、シングルマザーとなった。歌手としての人気にも陰りが出始めていたが、そんな彼女に救いの手を差し伸べたのも、やはり男性。その男性こそ、先に触れた大物プロモーターだ。

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(下)へつづく

週刊新潮 2017年10月5日号掲載

特集「『山口百恵』とは何だか違う! 不惑のミニスカ『安室奈美恵』引退は美談か」より

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