「谷垣禎一」が引退を告げた涙の病室 逢沢元国対委員長が明かす

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〈後進に道を譲り、政界を引退させていただくことになった〉――9月25日、自民党の谷垣禎一前幹事長(72)が、書面で正式に選挙への不出馬を表明した。

 その4日前、谷垣氏は自らのグループ「有隣会」の幹部に政界からの「引退」を告げていたという。昨年7月の自転車事故以来、公に姿を見せなかった谷垣氏。初当選から34年、最後に臨んだ「派閥会議」の舞台は、リハビリに励む病室だった。

 直接面会した逢沢一郎元国対委員長(63)が明かす。

「まさか谷垣先生も9月解散、10月選挙とは思っていなかったはずです。急転直下、総理の意向が明らかになってから、私は9月18日に先生の弟さんに電話をして、選挙準備をされるようお伝えくださいと、立候補の念押しをしていました」

 派閥の盟友である元防衛相の中谷元氏(59)とは、既に8月末にお見舞いをしていたと逢沢氏が続ける。

「その際は、事故前と変わらず言葉もしっかりしておられ、頭脳も明晰な姿を目の当たりにしていましたので。けれど、電話のお返事がない間に出馬しないという意向が伝わってきた。それで、9月21日に中谷先生を交えて谷垣先生と約1時間お話をさせていただいた。私共は、『先生が政界に存在している、議席があることはとても大切です』と説得して、先生も時折、涙を浮かべながら真剣に聞いていただいたのですが、決断は揺るがないご様子でした」

 個別に会った地元後援会「谷垣会」の谷村紘一会長は、

「出馬するから宜しくと挨拶されるのかと思って病室へ伺ったところ、『もっとやりたいと思っていたが、中途半端な形で議員を続けることはできない。申し訳ない』と言われまして。もうポロポロと涙を流して話をされるので、こちらも泣きそうになりました。普段と変わらない力で握手されたから、十分いけるやないかと思ってはいるのですが」

 総理の“奇策”に翻弄されたのは、与党の重鎮とて例外ではなかったのだ。

週刊新潮 2017年10月5日号掲載

特集「嘘と恨みと私利私欲 落としたい『政治屋』」より

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