仁科亜季子、絶縁できなかった「逮捕された元組長」との“関係”は

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「後ろ盾になって」

 笠岡を知る芸能ジャーナリストの本多圭氏が言う。

「笠岡と仁科の金銭トラブルは、仁科が社長を務めていた“京彩(きょうさい)”と、笠岡が支配する“大翔(だいしょう)”との間の貸し借りを巡るものです。京彩は大翔から1億円を借り受け、京彩副社長が月100万円ずつ返していましたが、副社長が詐欺で逮捕されて返済が滞った。そこで笠岡は仁科に、お前が社長のときに貸したんだから払えと要求したんです」

 そもそも京彩とは、

「松方弘樹が作った会社で、東本願寺と組んでグッズを作ったりしていた。松方と離婚後、仁科が社長を引き継ぎました。ただ仁科は、カネを借りた記憶はないと主張したので、笠岡は街宣車を仁科の自宅に押しかけさせたりしたのです」

 だが、仁科がそう訴えても、笠岡との関係は濃いのだという。

「長男の芸能界入りで笠岡が口利きしたのが最初。離婚後は仁科が積極的に笠岡に近づき、庇護を頼んでいた。上京する際も、マンションを用意してもらうなど支援を受けたんです」(同)

 笠岡が今年7月に出版した『狼侠』という本は、第三部をほとんど仁科批判に当てており、たとえば、

〈わたしに急接近してきたのが、離婚問題が表に出る前だった。かなり深刻な顔をしていたものだ。「離婚を決心しましたので、どうか後ろ盾になってください」と言う〉

〈わたしが京都の全日空ホテルで病院のために宿泊していたときに、突然仁科が一人で部屋に入ってきたことがある〉

 など、仁科について数々の“暴露”がある。ちなみに先の知人が言うには、

「本には世話になった住吉会の人間の実名も含め、洗いざらい書かれているので、今年7月、住吉会から“親戚の縁を解消した”との絶縁状が出されました」

 笠岡との関係について仁科の事務所に尋ねると、

「本人は“一切関係ない”と話しています」

 と繰り返すばかり。

 とまれ今回の逮捕、笠岡の“攻撃”を受けていた人たちが動いた結果、と見るムキが多数だが、絶縁できなかった点は、どうにも仁科に分が悪い。

週刊新潮 2017年10月5日号掲載

ワイド特集「ショウほど素敵な商売はない」より

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