室伏広治、ミズノからアシックスへ 鞍替えのワケを本人が明かす
義理もへったくれもないのか、との批判も仕方がないかもしれない。ハンマー投げの五輪金メダリスト、室伏広治(42)が、8月11日、「アシックス」との間でアドバイザリースタッフ契約を結ぶことで基本合意した。しかし、20年間の現役生活を支えてもらったのは、「ミズノ」だったはず。なぜ、ライバル会社にハンマープライスを?
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「やはり、室伏と言えば、ミズノのイメージが強い。アシックスとの契約については、陸上関係者の間でも、“なぜ、よりによって……”と、波紋を呼びました」
と指摘するのは、あるスポーツジャーナリスト。
「ハンマー投げというのは特殊な種目なので、シューズをつくってもマラソンのように売れるわけではない。販売実績という面では貢献できなかったが、オリンピックのメダルを獲ることで、ミズノのイメージアップに寄与してきたわけです。社員選手として中心的な存在だったのに、いきなりライバル会社と契約すれば恩知らずとの批判は免れません」
室伏がミズノに所属したのは1997年。中京大学卒業後のことである。
ミズノの幹部社員によれば、
「“アジアの鉄人”と呼ばれた父の重信さんの口利きでした。それから、昨年6月に競技の第一線から退くまでの20年間、競技に専念するだけのサラリーマン生活を送ってきた。退職したときの年収は、だいたい1000万円。他の社員よりもちょっと多いくらいです。世界的なアスリートにしては安いように見えるかもしれませんが、収益性の薄いマイナースポーツでしたから、やむを得ないところもありました」
活躍の場
だが、常駐でもないアドバイザリースタッフなら、ミズノの社員選手時代の給料にも及ばないはずである。
なのに、なぜ、室伏はアシックスに鞍替えしたのか。
幹部社員が続ける。
「東京五輪はゴールドパートナー制度というものが導入され、公式の“日の丸ウエア”などはアシックスが約150億円で落札しました。売上高でうちの倍以上の4000億円を叩き出すアシックス相手に太刀打ちできなかった。室伏としてもアシックスに転職した方が、東京五輪に向けて活躍の場が広がると考えたのではないでしょうか。でも、苦楽を共にした陸上部の監督や選手らは、まったく相談もなかったから、言葉が出ないほどショックを受けていました」
当然、裏切り者扱いされているという。
そこで、室伏本人に聞くと、
「アシックスと契約することはお世話になった方全員ではありませんが、何人かのミズノの幹部には予(あらかじ)め相談し、理解していただきました。現役を引退するとき、ミズノから慰留されなかったわけではありません。でも、ハンマーを投げられなくなった私がいつまで会社に貢献できるのか難しいところがありました。セカンドキャリアとして、スポーツ界に恩返ししたいと考えていた私と、アシックスの意見が一致し、ご一緒させていただくことになったのです」
義理に勝るは将来性というわけか。