年間10億近く売り上げた「マハラジャ」 仕掛人・成田勝氏が語る

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 バブルを象徴するスポットとして、あの伝説的なディスコを思い浮かべる読者は少なくなかろう。ドレスコードや黒服、お立ち台という言葉を全国区にした「マハラジャ」。牽引役だった成田勝氏が、ディスコ華やかなりし時代を振り返る。

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 僕が手掛けた「麻布十番マハラジャ」は1984年12月にオープンしました。当時の麻布十番は、まだ都営大江戸線も通っておらず、最寄りの六本木駅からも徒歩10分という陸の孤島のような状態でした。計画段階から「そんな場所に客が集まるわけがない」と周囲の猛反発に遭いましたね。...

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