W杯新鋭・井手口陽介 荒れたユース時代を母が明かす
荒れた生活態度
その後、中学1年でガンバ大阪のジュニアユースに加入し、井手口は福岡から大阪へ引っ越した。
母親の亜紀子さんに聞くと、
「長男の正昭が阪南大学の3年生でしたので、私と陽介の3人で大阪での生活を始めました。ガンバ大阪のユースに進むと、全員が追手門学院高校に入学し、寮生活をしなければならない。陽介はそれが窮屈だったのかもしれません」
いつもニコニコしている素直な子どもだったが、高校に入ると急に性格が暗くなったという。
「寮の門限を守らず、授業にも度々遅刻して、学校での生活態度は荒れていました。サッカーの方も、せっかくユース日本代表の合宿に呼ばれたのに、ミーティングにノートを持っていかなかったり、練習で気に入らないことがあると、クーラーボックスを足蹴にしたり……。そのせいで、代表メンバーから外されてしまったこともあった。でも、高2のとき、私が大病したのをきっかけに立ち直り、何ごとにも前向きに取り組むようになってくれました」(同)
実は、井手口は2年前に中学時代の同級生と結婚し、すでに1女の父親である。
母親の大病という一葉が落ち、W杯の新鋭は将来を見据えることができたのである。
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