自分たちが遊びたい店を作ってきた――松井雅美氏が振り返る「バブルの遊び場」
飲食業界にカフェバーという業態を誕生させ、湾岸の倉庫街の一角を開発してウォーターフロントブームを作り出す。手がけた店がオープンすると、周辺の地代が上がったことから、「地代上げ屋」とも呼ばれた。バブル期を象徴する空間プロデューサー、松井雅美氏。その彼が振り返る遊び場のバブル時代とは――。
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もともとインテリアデザイナーから出発して「空間プロデューサー」なんて呼ばれましたが、その言葉ではちょっと足りないかな。店を作るにあたって、内装はもちろん、食器もテーブルもメニューだって決めて、従業員のことや経営的な側面も考える。...