何十年も女性を“見たことがない”修道士たち 彼らの祈りの日々とは
その国に暮らしているのは2000人の男だけ。家畜でさえもメスを排除したその「聖地」では、女性に触れることはおろか、何十年も女性を見たこともないという男も存在する。そこはギリシャ正教の聖山アトス。ギリシャ領内にありながら険しい山と海に隔てられ、船でしか入ることはできない。自治政府によって治められ、女人禁制はもちろん、入国そのものの制限が徹底されているのだ。
2000人の男たちはそこで修道士として暮らしている。彼らは一旦修行の徒としてその身を捧げると、生涯のほとんどアトスを出ることはない。つまり数十年間女性を見ることなく生涯を終える者も少なくないのだ。いったいどんな生活をしているのか?
日々、祈りにその人生を捧げている修道士たちの日常は、厳しい取材制限のため、これまでほとんどその実態が知られることはなかった。
そのアトスの政府から、日本人として初めて公式に撮影を許され、「謎の宗教独立国」と呼ばれてきたアトスの全貌を紹介した『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を8月に出版した写真家の中西裕人氏に彼らの生活について聞いた。
修道士たちの清らかな日常
修道士はアトス領内に20ある大きな修道院のどこかに属し、修道院の僧坊で共同生活をする者と、「ケリ」と呼ばれる修道小屋で1人ないし数人で暮らしている者がいる。彼らの生活の核になっているのは、毎日早朝4時と夕方4時から、3~4時間にわたって日に2回執り行われる祈りの時間だ。1日の3分の1の時間を、毎日聖堂での祈りに費やしていることになる。主催する司祭を囲み、イコンに接吻し、聖歌を詠い、祈祷書を詠み、祈り、聖体を拝受する……その営みは、たとえばクリスマスなどの大祭の日でも絶えることなく続けられている。
祈りが終わると食事。和気藹々とにぎやかにテーブルを囲む、ということはなく、私語は禁止。当番の修道士が読む祈祷書の声と、食器が触れ合う音だけが食堂を支配する。祈りと食事、睡眠以外の時間は、修道院で集団生活する修道士たちは、畑に出る人、パンを焼く人、調理する人、掃除する人、裁縫する人など、割り当てられた仕事に粛々と勤しむ。ケリにも畑があって、こちらもほぼ自給自足生活。
オーガニックな食事とわずかな団欒
食生活はどうか。もちろん肉は食べない。エーゲ海に突き出した半島だから海産物は豊富だが、「赤い血の流れる」魚類は避けられ、タコやイカ、貝類などが蛋白源となる。ただ、大祭の日など、特別に魚が供されることもあり、修道士たちはその日のご馳走を心待ちにしている。修道院やケリの畑ではトマトやキュウリ、ジャガイモや豆類など、オーガニックで新鮮な野菜が採れ、日々の食卓に上る。
食後の団欒のわずかな時間が、修道士たちに許された「自由時間」となる。修道士同士、語り合ったり、訪れた巡礼者たちと語らう時間を、彼らはとても大切にしている。大きな修道院以外、電気は通わず、もちろんテレビもラジオもないから、外部のことを知る手立ては、訪ねてくる巡礼者がもたらす情報に限られている。それにも関心のない人は、第二次大戦後の世界地図がどうなっているか、まったく知らない修道士さえいるのだとか。
修道士たちの「喜び」とは
自身の「欲望」を満たす時間も機会もない修道士たちは、毎日何の楽しみもなく、ひたすらつらい苦行に励んでいるのか――そう予想していた中西氏の目に映る修道士たちは、意外にもみな明るく、楽しげであったという。
「いずれ死んだ後に生きる神の国を待ち望む確信に満ちた彼らの表情は、祈りの時だけでなく、日々の営みのすべての場面において、明るく喜びに満ち溢れている。そんな彼らだからこそ、皆、優しく穏やかな目、表情をしているのである」
修道士たちの喜びとは、欲を満たすことでなく、「神に近づく」こと、「人を想う」こと、そしてそこで得られる平安だと、中西氏は感じた。ここには原始キリスト教の祈りの姿が、最も色濃く残っているのだという。
中西氏は父親がギリシャ正教の司祭であったことから、日本人として初めてアトスの自治政府から出版・撮影の許可を得ることができた。写真集『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』(新潮社刊)には中西氏が修道士たちと触れ合い感じたことも詳しく述べられている。修道士たちの素顔を捉えた写真も数多く掲載され、世俗的な欲が満たされなくとも幸せそうな彼らの「優しく穏やかな表情」が見てとれる。
中西氏は「謎の宗教独立国」の撮影をするという野心に駆られ、洗礼を受けたと告白しているが、その彼がギリシャ正教の本質に触れ、感化されていく心情の移ろいもまた興味深い。中西氏のギリシャ正教の核心を探す旅は、これからも続きそうだ。