熊谷6人殺害事件 遺族が明かす「空っぽの2年間」

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「10年間ありがとう」

「事件が起きてから1ヵ月くらいは、この家を手放すしかないな、と考えていました。30年ローンを組んで購入したばかりでしたが、何しろ、ここで妻と娘たちが亡くなったので……。インターネット上でも“事故物件”として取り上げられました。その頃はまだ規制線が張られたままで、家に近づくこともできませんでしたけどね」

 いかに買ったばかりとはいえ、加藤さんが自宅の売却を考えるのはむしろ自然だろう。ところが、

「時間が経つにつれて、何と言うのか、自宅まで手放したらもっと後悔するんじゃないか、そう考えるようになったんです。事件後は近所にある実家で暮らしているんですが、一周忌を終えた去年の10月頃から昼間だけこの家で過ごすようになりました。とはいえ、遺品を整理しようとしても、なかなか気持ちがついていかない。むしろ、この家にいると、まだ家族が生きているんじゃないかと思ってしまう。娘たちが玄関のドアを開けて、“パパー”と言いながら帰ってくるんじゃないか、と」

 いま、4LDK・2階建ての自宅に事件の痕跡は一切見当たらない。

 2階部分には家族が布団を敷いて川の字で寝ていたという寝室と、子供たちの部屋がある。そもそも、加藤さんが新居を建てたのは、春花ちゃんが小学校に入学するのを機に、姉妹それぞれに部屋を与えたいと考えたからだった。

 美咲ちゃんの部屋には、クマのプーさんやキティちゃんのぬいぐるみが並び、テーブルには「アナと雪の女王」が表紙のノート、そして、本棚の上には妹とお揃いのピンク色をしたランドセルと、黄色い通学帽が2つずつ置かれていた。

 事件後、全てのクロスを張り替え、業者が徹底的にクリーニングし、いまは加藤さんがこまめに掃除をしているという自宅は、明るく清潔な印象で、事件現場を思わせる張り詰めた空気は全く感じられなかった。

 だが、事件前の温かい家族の暮らしがそのまま保存されているがゆえに、ひとたび家族の不在という現実が頭を過ると、やりきれない感情にとらわれてしまうのだろう。

 この家で見つかった遺品のなかには、10歳の誕生日を迎えた美咲ちゃんが、美和子さんに送った手紙もあった。

〈お母さんへ

10年間育ててくれてありがとう。わたしは、10年間育ててくれたことを感しゃしています。おいしい料理を作ってくれてありがとう。それで毎日、元気に登校できるよ。よごれた服をきれいにあらってくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。

4年2組 加藤美咲〉

 母親に向けて何度となく「ありがとう」と綴った娘も、手紙を読んで顔をほころばせたであろう妻も、もうこの家に戻ることはない。

 一方、凶行を繰り返した末、この家に籠城したナカダは、埼玉県警の捜査員に包囲されるや、子供たちの部屋へと通じる階段の出窓から自殺を図って身を投げた。左手に包丁を握り、右手で大きく十字を切りながら――。

 転落の衝撃で頭蓋骨を骨折する重傷を負ったナカダは一時、生死の境をさまようが、1週間後に意識を取り戻す。

 埼玉県警は3戸の被害者宅に残されたDNA型が本人と一致したとして、ナカダを強盗殺人などの容疑で逮捕。さらに、鑑定留置の結果、責任能力が認められると判断され、さいたま地検は昨年5月20日にナカダを起訴している。

 弁護側が依頼した精神鑑定の結果を待って、来年早々にも初公判が開かれる予定だ。

 加藤さんはナカダに極刑を望むとしながらも、

「死刑判決を下してもらうことだけが全てではありません。そうではなく、私は真実が知りたいんです。検察官が証拠を揃えて求刑する、それを受けて裁判官が判決を下すというのは、私などからすると、彼らが普段通りの仕事をこなしているようにしか思えません。でも、私にとって妻子は何ものにも代えられない、本当に大切な存在でした。ですから、事件の真相を明らかにして、なぜ私の妻や子供たちが命を落とさなければならなかったのか、その理由をきちんと知りたい。そうでなければ裁判を開いたところで、死刑判決が下されたところで何の意味もないと思っています。たとえ、どんなにひどい話であっても真実を知りたい。もちろん、犯人のことは今でもこの手でぶん殴ってやりたいですよ。でも、それ以上に真実をありのまま話してほしい。私も被害者参加制度を使って直接、彼に語りかけたいと考えています」

 憎むべき凶悪犯が極刑に処されたとしても、それによって全てが贖われるわけではない。遺族の偽らざる心境であろう。

 事実、この2年間、遺族は事件によって壮絶な日々を強いられてきた。

 加藤さんの母親、つまり、美咲ちゃんと春花ちゃんを可愛がった「おばあちゃん」は脳梗塞で倒れて入院し、いまもリハビリ生活を続けている。もともと血圧が高かったことに加え、事件直後にマスコミが殺到し、矢継ぎ早に飛ぶ質問に答えているうち呂律が回らなくなったという。その年末には「おじいちゃん」が、さらに、年明けには加藤さんの兄もストレスから体調を崩し、入院を余儀なくされた。

 3人の未来を奪った凄惨な事件は、残された家族から平穏な暮らしをも奪い去っていた。

 さらに、悲痛な胸の内を吐露した加藤さんが、もうひとつ「悔やんでも悔やみきれない」と語ることがあった。

 それは捜査に当たった埼玉県警による「失態」の連続だ。

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