「大谷翔平よ、打の一刀流でメジャーに挑め」元祖二刀流・永淵洋三氏

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元祖二刀流は「あぶさん」のモデル

 永淵洋三氏(75)という「元祖二刀流」をご存じだろうか。傑作野球マンガ『あぶさん』(水島新司・小学館)の主人公・景浦安武のモデルとしての方が知られているかもしれない。

 永淵氏は1942年、佐賀県生まれ。その野球人生を、99年に地元佐賀新聞に掲載された座談会などを使って振り返っていきたい。永淵氏は県立佐賀高(現・佐賀西)のエースとして頭角をあらし、《60年春の九州大会で優勝》し、《夏の甲子園の最有力候補だったが、県大会初戦で》敗退してしまう。ご本人は座談会で《慢心があったのかもしれない》と振り返っている。

 高校を卒業すると、実業団の東芝に進む。ここで二刀流の野球人生が本格的に始まる。66年の都市対抗野球大会では1回戦で本塁打を放ち、準々決勝では先発として熊谷組と対戦するもノックアウトという記録が残っている。更に、社会人になってから酒豪伝説もスタートした。

《東芝の5年目に西鉄ライオンズの入団テストを受けたが、「背が低いから」と門前払いだった。悔しくて、それから毎晩スナック通い。月給3万円の時代に、借金が約30万円になった》

 67年に近鉄(現・オリックス)がドラフト2位に指名する。

《支度金ではなく契約金、しかも400万円。入団後も月10万円。うれしくて毎晩飲みに行った。そんな話がよくマスコミに載ったので、水島新司さんが酒飲みのプロ野球選手の話を思いつき、漫画「あぶさん」が生まれた》

 入団翌年の68年にプロデビュー。監督は「三原マジック」で名を馳せた故・三原脩氏。対東映戦に代打で出場すると、いきなり本塁打を放つ。そして次のイニングでは救援投手としてマウンドに立った。三原監督らしく「投手、外野手、代打」をこなす「1人3役」を命じたことで、永淵氏はマスコミの注目を集める。

 この年は12試合に登板して0勝1敗。打者としては109試合で打率2割7分4厘。5本塁打。30打点。翌年に打者専従を命じられると、打率3割3分3厘で首位打者を東映の張本勲と分け合った。身長168センチで「小さな大打者」と呼ばれることもあったが、やはり「酒力打者」(主力打者のもじり)と敬愛を込めて報じられることの方が多かった。オールスター出場3回というのも、ファンに愛された証左だろう。

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