“鴎外の孫”没後30年・森茉莉さんの“テレビ評”生原稿

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 森茉莉さん(1903〜87)が逝って30年が経った。この節目にあたり、文京区立森鴎外記念館が、特設コーナーを設けて生原稿の展示を行っている(10月1日まで開催中)。

 文芸評論家の藤野健一氏が言う。

「森さんは、文豪・森鴎外の長女で東京生まれ。離婚後の1957年、父・鴎外について娘の感情を綴った随筆『父の帽子』でデビュー、これが日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、50歳を過ぎてからの遅咲きのスタートを切りました。そこからは『恋人たちの森』が田村俊子賞、『甘い蜜の部屋』は泉鏡花文学賞を受賞。“血は水よりも濃い”です」

 今回、鴎外記念館で展示中の生原稿は、79年から85年にかけ小誌(「週刊新潮」)に連載された「ドッキリチャンネル」のもの。担当した編集者が往時を回想する。

「当時はまさに“テレビの時代”。その全盛期の主要番組を“歯に衣着せぬ”筆致をもって、文筆家として一目置かれていた森さんがバッサリ切るのですから、影響力は大きかったのです。毎週、業界関係者は戦々恐々だったと言います」

 確かに「ドッキリチャンネル」を読むと“エセ・インテリ”の烙印を押されてこき下ろされている当時の人気俳優も数多いる。

「貶(けな)された俳優が、森さんに執り成してほしいと言ってきたこともありました。何とか評価を変えてほしかったのでしょう」(同)

 担当者は、毎週火曜日に世田谷の経堂まで原稿を取りに上がったという。

 その最期はいかにも森茉莉らしいものだった。

「当時“孤独死”と書かれもしましたが、それは世間一般の物差しで測ったに過ぎない表現。私は森茉莉らしいアッパレな人生を全うされたと思います」(同)

週刊新潮 2017年9月14日号掲載

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