亡くなった羽田元首相の「人柄の良さ」は評論家も太鼓判 しかしそれ故に……

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 羽田孜元首相が28日午前7時6分、東京都内の自宅で老衰のため死去した。82歳だった。

 羽田氏は、衆院議員だった父の後を継ぎ、69年に初当選。94年4月には、細川護熙氏の後継として、非自民連立政権で第80代首相の座に就いたが、政権内の対立で、旧社会党が連立を離脱し、少数野党に転落。わずか64日という短さで総辞職に追い込まれた。この在職日数は現行憲法下で最短である。

 温厚な人柄で知られた羽田氏。文芸評論家の福田和也さんは、歴代総理を採点をした著書『〈新版〉総理の値打ち』の中で、羽田氏について「人柄は良かった」と評している。

「竹下派七奉行(小渕恵三、梶山静六、橋本龍太郎、渡部恒三、奥田敬和、小沢一郎、羽田孜)の1人に数えられていたが、いずれも強面で濃い面々の中では、1人薄味であったことが、逆に存在感を高めていたかに思われる。」(『<新版>総理の値打ち』より。以下同)

 しかし「小沢と袂を分かってからは、どこにいるのか分からない。細川内閣の組閣直前まで自分が首相になると信じて、外遊に備えて英会話を学んでいた、というエピソードからは人柄の良さが伝わってくるとともに、騙してくれる人がいなければその役割もないという寂しさを感じる」とかなり辛辣な表現とともに、総理としての点数は「採点不能」と福田氏は評価している。人柄の良さゆえに、生き馬の目を抜くような政治の世界では上手く立ち回ることができなかったのだ。

 羽田氏が所属した政党を正確に言える人は少ないだろう。自民党に始まり、新生党結党に参加。その後、新進党、太陽党、民政党を経て、民主党に合流。民主党政権では最高顧問を務め、2012年11月の衆院解散で政界を引退した。

 新進党誕生以降、「新党」が生まれては消えた最大の原因は、政策が一致しないグループが数合わせのために合体したことだろう。

 目下、繰り広げられている民進党の代表戦ではまたしても「野党共闘」がひとつの争点になっている。古巣のこの姿を羽田氏は天からどう見るか。

デイリー新潮編集部

2017年8月29日掲載

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