昔はGHQ、今は官邸…… 吉田茂と安倍晋三に共通する「忖度政治」
「時代は少しも変わらない」
ここで面白いのはこうした状況が、時代背景や程度こそ大きく違うものの、今のこの国の政官界と共通している事だ。
「安倍一強」と呼ばれる中で安倍政権は与党内のライバル不在と野党の不人気で長期安定化が見込まれてきた。また3年前に発足した内閣人事局で各省の幹部人事を官邸が一元管理し、官僚は常にその意向を気にするようになった。加計学園の獣医学部新設では「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」と書かれた文部科学省の内部文書が浮上し、森友学園への国有地売却でも名誉校長の昭恵夫人への配慮が指摘された。これらは総司令部の“最高レベル”の“ご意向”を常に気にした占領期の政治家や官僚たちと重なる。
安倍総理は日本国憲法を含む戦後レジームからの脱却を掲げるが、その政権運営がGHQと似ているが故に忖度を生んだとすればあまりに皮肉すぎる。太宰治ではないが、「時代は少しも変らない」のだ。
その太宰はマッカーサーの下で進む民主化を見て、その矛盾と脆さに気付いていたのかもしれない。日本人の権威主義や奴隷根性を激烈に批判した彼は、自殺する前に「如是我聞(にょぜがもん)」という作品でこんな言葉を遺していた。
「民主主義の本質は、それは人によっていろいろに言えるだろうが、私は、『人間は人間に服従しない』あるいは、『人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない』それが民主主義の発祥の思想だと考えている」
折しも文部科学省の内部文書の存在を認めた前川前次官は、全体の奉仕者として志を持って国家公務員になったのに、「最近は一部の権力者の下僕になる事を強いられる事がある」と証言した。森友や加計学園を巡る騒動は詰まる所、民主主義とは何か、私たちは人間として生きるのか、それとも家来として生きるのかという問いを突きつけたと言える。
そして占領期の国会議事録で最も印象深かったのは次の吉田総理の発言だった。サンフランシスコ講和条約が発効してGHQが日本を去った後、外交方針を問われた総理はこう答弁していた。
「日本がアメリカに追随せざる以上は、アメリカの意思を忖度する必要はないのであります。而も日本は独立したのでありますから、アメリカの意思を忖度して外交を左右することはございません」(1953年7月22日、参議院予算委員会)
それから60年余り、吉田総理には悪いが、戦後の日本外交には絶えず対米追従、従属との批判が付きまとってきた。戦後レジームからの脱却を目指す安倍総理は、今こそ、米国への忖度拒否を宣言してみてはどうだろう。
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