昔はGHQ、今は官邸…… 吉田茂と安倍晋三に共通する「忖度政治」
間接統治と忖度
こうなると小学校への国有地売却や獣医学部の新設どころの話ではない。政府の外交や経済政策、はては電力業界の再編まで国のあらゆる舵取りがGHQへの忖度で動いていた。この吉田総理以下の要人によるいじましいとも映る態度の背景には当時のGHQ、特にマッカーサーの圧倒的な存在感があった。
1945年8月に米軍のC54輸送機「バターン号」で神奈川・厚木に降り立ったマッカーサーは、東京湾での降伏文書調印後、皇居の濠を望む日比谷の第一生命ビルに総司令部を置いた。ここから彼は軍国主義者の公職追放、財閥解体、農地解放などを押し進めたが、その核になったのがSCAPIN(スキャッピン)と呼ばれる連合国最高司令官指令である。
マッカーサーの名で出た指令は日本政府により法令形式に直されて全国に伝わり、総理に直接書簡を送って指示する時もある。そのマッカーサーは米大使館の住まいと第一生命ビルを往復する以外はパーティにも顔を出さず、こうした間接統治の結果、GHQの意向を探る猛烈な忖度が起きたのだった。その更に背後には米国の影があり、後に吉田内閣の副総理を務めた緒方竹虎は国会で米国との付き合い方について、「他人、心あり、我これを忖度す」と本気とも冗談とも取れる答弁をしている。
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