昔はGHQ、今は官邸…… 吉田茂と安倍晋三に共通する「忖度政治」 

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「安倍総理」が甦らせた「マッカーサーへの忖度」(下)

 国会議事録で「忖度」の語は戦後占領期に集中する。絶対権力者たるD・マッカーサーに対し、日本人は一丸となって彼の心中を推し量り、復興を成し遂げた。だが現在、「戦後レジームからの脱却」を悲願とする安倍内閣でも「忖度政治」は横行する。ジャーナリストの徳本栄一郎氏は、当時の吉田茂総理を筆頭とする与野党の政界、そして官僚たちがこぞって忖度に走る姿を明らかにした。

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 また忖度は中央銀行である日本銀行にも及んだ。1950年10月、デトロイトの銀行家でGHQの財政金融顧問ジョゼフ・ドッジが再来日している。ドッジはその前年、日本のインフレ抑制のために金融引き締めを勧告した人物で、それは中小企業の倒産や失業者の増加をもたらし社会不安を増大させていた。

 当然、再来日ではその見直しが焦点になったが、彼と面談した直後の日本銀行の一万田尚登(いちまだひさと)総裁の答弁はこうだ。

「ドツジさんがどういう考えでおるか、私まあ知りません。これはまだ私忖度する能力を持つていない。なぜなら相手が偉いので、これは分らん」(1950年10月13日、参議院大蔵委員会)

 この一万田総裁も“日銀の法王”の異名を取って戦後の財界に君臨した大物だが、彼をしてこう言わしめていた。さらにGHQへの配慮は電力業界の再編でも発揮された。

 1951年5月、それまで国策会社として全国の発電と送電を一手に担った日本発送電が分割されて全国9地域の電力会社が誕生した。その過程では早急な再編を求める総司令部が政府への不満を募らせ、紆余曲折を経た末、50年11月に国会を通さないGHQの緊急命令、いわゆるポツダム政令で分割が決定したのだった。この一連の経緯を後の鳩山一郎内閣で入閣する西田隆男議員が通産大臣に質問していた。

「いやしくも占領下にある国の政府が司令部の意向を全く忖度し得ない状態にあり、又司令部の考え方と遠く離れた考え方において、占領治下にあつて政治を行うことは、私は国民のためにこれは非常な不幸だと考えております」

「内閣全体が司令部の意向を忖度し損ねた結果が、民主主義の国において最も忌むべきポ政令によつて電力再編成問題を片付けねばならんという結果を招いたということだけは私は間違いがないと思う」(1950年12月2日、参議院電力問題に関する特別委員会)

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