安倍総理が甦らせた「マッカーサーへの忖度」 占領秘史が示す加計・森友問題の“原点”
国会議事録でも占領期に集中する「忖度」
明治時代にわが国に国会が開設されてから森友問題が発覚するまで127年、この間の議事録のデータベースを「忖度」という言葉で検索すると合計で約330回使われている。初登場は日露戦争後の1909年で、2回目は敗戦の年の45年に3回、それが翌46年に22回、49年は29回、51年には45回に急増した。この傾向は50年代の前半まで続くが高度経済成長に入った57年にはわずか1回にまで減少している。
このように日本の国会で忖度という言葉が使われたのは戦後の占領期、1945年からわずか7年間になんと68パーセントが集中していた。その主な忖度の対象の一つがGHQで、具体例を見てみる。
1948年のクリスマス直前の12月19日、マッカーサーは当時の吉田茂総理に経済政策について書簡を送った。これは米国政府からの指令に基づき日本に予算の均衡、徴税の強化、価格統制の強化など9項目の実施を要求したもので戦後に猛威を振るったインフレを収める狙いがあった。
だがこれは同時に国民に一層の耐乏生活を強いることを意味し、マッカーサーは書簡でこう告げている。
「これはまた日本人の生活のあらゆる面においてより以上の耐乏を求め、自由な社会に与えられている特権と自由の一部の一時的な放棄を求めるものである」
「これに対して思想的な立場から反対を唱える事も許されず、その達成を遅らせたり挫いたりしようとする企図は公共の福祉を脅かすものとして抑圧されなければならない」
まるで一切反論を許さない独裁者のようだが、この書簡について国会で質問された吉田総理はこう答弁していた。
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