笑福亭鶴瓶の知られざる顔(1) 新聞記者と大ゲンカ

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ただの柔和な人ではない

 笑福亭鶴瓶のことを知らない日本人は少ない。

 特にこの数年は、『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)の影響で、「一度はうちの近所に来た人」だと思っている人も多いはずだ。

 この場合の「鶴瓶像」はもちろん、あの柔和で人懐っこい「鶴瓶さん」である。どんな地方の老若男女の懐にもすっと入り、いつの間にか家に上がりこんで、出会った人たちに素敵な思い出を残すのだ。

 しかし、鶴瓶の「本当のスゴさ」はそんなものではない、と指摘するのはライターの戸部田誠氏。「てれびのスキマ」というペンネームで数多くのお笑い関連の著作がある戸部田氏が、その知られざる「スゴさ」について語り尽くした新著、その名も『笑福亭鶴瓶論』から「柔和で人懐っこい」のとは別の顔を示す、「ケンカ人生」に関連したエピソードを3回にわたってご紹介しよう(以下は同書より抜粋、引用。同書に記載の出典は割愛)。

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横柄な新聞記者

 それは、1972年、鶴瓶が20歳の頃のことだ。

 まだ落語界に入門して数日。師匠から「鶴瓶」と名付けられる前のことだった。

「島の内寄席」という落語会で鶴瓶が木戸番(入場受付)をしていたときだ。ある夕刊紙の記者が、名前も会社名も名乗らず、素通りして入場しようとしていた。

 それが新聞記者であることは鶴瓶にもわかっていたが、いつも横柄な態度が我慢できなかった。

「おたく、いつもタダで入っていきはるけど、どなたさんですか。あのう、いっぺんくらいお金払って入ったらどうですか?」

「なに! お前誰や!」

 その男は激昂して持っていた下足札(げそくふだ)を鶴瓶に投げつけた。

 笑福亭松鶴の弟子だと名乗る鶴瓶に記者は吐き捨てるように言った。

「俺を誰やと思うとんねん。よし、松鶴のところへ連れて行って教えたる」

「ああ、勝手にしとくんなはれ」

 鶴瓶は、その記者に連れられて師匠である笑福亭松鶴の元に向かった。

 松鶴は短気で弟子に厳しいことで有名だ。まだ芸名もついていないくらいの新米が、芸人にとって大事にしなければならない新聞記者を怒らせてしまったのだ。

師匠の意外な反応

 入門早々、鶴瓶は大きなしくじりを犯してしまった。

 持ち場を離れた鶴瓶を見かけた松鶴に注意されると、鶴瓶は覚悟を決め、事の次第を説明した。

「あほんだら! 何考えてんねん!」

 松鶴は激昂した。だが、松鶴が睨(にら)みつけた視線の先にいたのは新聞記者だった。

「こいつかていつまでも弟子っ子やないねんで! そのうち出世もしよるがな。そうなったら、おまえ、どないすんねん!」

 相手は落語会も主催する新聞社の記者。対して、まだ入門して数日した経っていない弟子。

 どちらを大事にすべきかといえば、一般的に前者だろう。けれど松鶴は、迷わず弟子のために記者を怒鳴りつけたのだ。

 鶴瓶はこの後、酔った松鶴からいきなり傘で刺されたり、落語を自分だけ教えてもらえなかったりと、散々理不尽な修業時代を送ることになる。だが、この一件があったからこそ、何をされても「このおやっさんに付いていこ」と思い続けることができたのだ。

デイリー新潮編集部

2017年8月22日掲載

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