「グリコ・森永事件」で地を這った特殊班 現職を退いた刑事らが明かす秘話
グリコ・森永事件で地を這った「大阪府警捜査一課」特殊班(上)
グリコ・森永事件の犯人グループの1人とされる「キツネ目の男」を目撃した大阪府警捜査一課特殊班所属の7人の刑事。キツネ目の男はどのようにして彼らの前に現れ、そして、捜査の網をすり抜けていったのか。現職を退いた刑事らが明かす、秘話の数々。
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〈グリコ・森永事件とは〉
84年3月18日、「江崎グリコ」社長の江崎勝久氏が3人組の男に誘拐された。犯人は身代金10億円と金塊100キロを要求したが、江崎社長は監禁されていた倉庫から自力で脱出。「かい人21面相」を名乗る犯人はグリコだけではなく丸大食品、森永製菓など食品会社を次々と脅迫。《どくいり きけん たべたら 死ぬで》と書かれた青酸入りの菓子をスーパーなどにばら撒き、国民をパニックに陥れる一方で、警察やマスコミには挑戦状を送りつけ、「劇場型犯罪」と言われた。翌年1月10日には犯人の1人とされる「キツネ目の男」の似顔絵が公開されたが、同年8月に送った挑戦状で犯行終結を宣言。94年に江崎社長誘拐事件が時効を迎え、00年2月13日午前0時には、警察庁広域重要指定114号「グリコ・森永事件」の完全時効が成立した。
***
その日は日中30度を超す真夏日となったが、夕暮れ近くから空はどんよりと曇りはじめ、日が落ちる頃にはすっかり暗い雲が頭上にひろがっていた。やがてポツポツと降り出した雨が路上に落ちて黒いシミとなっていく――。
1984年6月28日のことである。当日、大阪府警捜査一課の特殊班30人は極秘の捜査網を敷いていた。
午後8時過ぎ、車の中で同僚と待機していた捜査員のもとに捜査本部から無線が飛んできた。
「電車や!(犯人は)高槻駅から京都へ向かう電車に乗れと言うとる」
慌てて車を国鉄(当時)高槻駅へ走らせる捜査員。このときの心境を、
「正直、まずいなと思った」
と打ち明ける。
「もちろん電車に乗せられることも想定していました。でも、電車の中では無線も使えないですから、素早く対応することも難しくなるんです」
駅に到着した捜査員2人は車を乗り捨て、犯人の指定する電車に飛び乗った。
「かい人21面相」を名乗る犯人グループから、食品メーカー・丸大食品に脅迫状が届いたのは6日前の22日のことだ。
「グリコと同じ目に遭いたくなかったら、現金5000万円を出せ。指示は、28日夜、丸大の常務に出す。自宅にカネを用意して待て、という内容でした」(府警関係者)
犯人から現金の運び役に指名された常務の自宅は大阪府高槻市の山の中。最寄り駅からもかなりの距離があった。そんな地勢から特殊班では、現金奪取の地点までカネは車で運ばせる可能性が高いとみていた。
しかし、犯人側が電車を指定してきたことで捜査の陣形も変化を強いられることになった。といっても、これもいくつか想定したフォーメーションの1つだ。
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