80年代「トヨタ」は米国圧力になぜ打ち克てたのか 大物密使「ケイ菅原」の存在

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「トヨタ」の先達は米国圧力になぜ打ち克てたのか(上)

 日本車を目の敵とするトランプ大統領の発言を聞くにつけ、1980年代のジャパン・バッシングを思い出す。当時トヨタ自動車は、ある日系人実業家の指南を受け、危機を乗り越えた。彼がトヨタ幹部と交わした極秘書簡を、ジャーナリストの徳本栄一郎氏が紹介する。

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 手元に英文でタイプされて米国から送られた1通の書簡がある。日付は今から33年前の1984年3月16日。宛て先は愛知県豊田市にあるトヨタ自動車の監査役、加藤誠之(せいし)とある。差出人はニューヨークでフェアフィールド・マックスウェルという海運会社を経営する日系米国人のケイ菅原で、ごく普通のビジネスレターに見えるが内容は一風変わった文言で始まっていた。

「ご存知のように今年は大統領選挙の年である。11月に誰が当選するかで米国の政策が変わるが、レーガン大統領は開かれた貿易に極めて好意的で、その政策は御社や日本の他の輸出企業にも有益と言える。一方で組合労働者と協定を結んだモンデールは(日本車の)米国内生産の法案を推進しようとし、その新たなライバルであるゲイリー・ハートは政治的圧力を受けて保護主義に反対の立場を取っている」

「今の米国の情勢が会社の将来をも左右するという事をトヨタ代表に十分認識しておいてもらいたい」

 この年の11月に現職のロナルド・レーガン大統領の再選をかけた選挙が控える中、民主党のウォルター・モンデールやゲイリー・ハートが名乗りを上げて日本車叩きが高まりそうという。一海運会社の経営者からの書簡にしては奇異な印象を受ける程、政治的な内容を含むが彼の経歴を知ればごく自然な文面とも言える。このケイ菅原は第2次大戦中は米情報機関OSS(戦略事務局、CIAの前身)の工作員として、戦後は水面下で日米の政財界を結ぶ密使として活躍した男だったのだ。

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