“伝説の作家”落合信彦のトンデモ伝説 ヘリで1番ホールに着陸

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 大海原に浮かぶ海底油田プラントに舞い降りた一機のヘリコプター。そこから現れた眼光鋭いサングラスの男は、「作家・国際ジャーナリスト 落合信彦」。世界中を飛び回る彼は、取材を終えると、辛口のビールで喉の渇きを潤した――。

 そんな映画のワンシーンのようなCMが、昭和が幕を閉じるまでの約2年間、全国のお茶の間に流れた。昭和62年(1987)3月に新発売された「アサヒスーパードライ」のCMだ。このビールを空前の大ヒットへと導いた時期、すでに「落合信彦」は出版業界では「伝説の作家」となっていた。もっともそのレジェンドとは、思わず眉を顰めたり、耳にした瞬間、吹き出してしまうトンデモ伝説の数々なのだが……。

 たとえば、大晦日になると、千葉県のゴルフ場には各社の担当者や出版関係者が15名ほど集い、落合センセイを囲んで年越しをするのが恒例行事となっていたが、そこで目を疑うような光景があったという。

「集合時間になっても落合さんが現れないので心配をしていたら、バリバリバリバリッとものすごい轟音を立てながら、ヘリコプターが飛んできて、ゴルフ場に着陸したんです。中から現れたのは、もちろん落合さん(笑)。『悪い悪い、忙しくて』なんて言ってましたが、ビールのCMを意識しているのは明らか。あの人なりの自己演出だったんでしょうが、普通の感覚ではない」(元担当編集者) 

 唯一無二の「落合ワールド」については、別の編集者の証言からもうかがえる。

「昔、担当者から聞いたところ、落合さんは自分の原稿を読み返して感動して泣いているそうです。やはり普通じゃないですよ」

 そんな「普通ではない作家・落合信彦」とは何者か。

 注目を集めたのは52年。「週刊文春」でケネディ米大統領暗殺事件の真犯人が、前大統領(当時)であるニクソンだとした『二〇三九年の真実』を発表したことだった。この真相に気づいたのは世界でも自分しかいないと主張した落合センセイは、「ケンカ・ジャーナリズム」を標榜。「なぜニクソンは私を訴えないのか」と誌面で挑発を繰り返し、一躍「時の人」となった。

 その名をさらに轟かせたのが55年、週刊「プレイボーイ」に連載された『20世紀最後の真実』だ。総移動距離5万8000キロにも及ぶ世界各地の取材の果てに、南米に逃げたナチスの残党をつきとめたセンセイは、なんと世界中で目撃されているUFOというのが実は「ナチスの秘密兵器」だという驚愕の事実にたどり着くのである。

 このような「世紀のスクープ」をたて続けに報じる一方で、イスラエルの諜報機関「モサド」を舞台にしたハードボイルド小説なども精力的に発表。ネットもない時代、若者たちにとって落合センセイは、「海の向こうの広い世界」と「男の生き様」を教えてくれる「カリスマ」だった。

 いきおい、ドラマチックなセンセイの半生にも注目が集まる。東京下町の決して裕福とはいえない家庭から、独学で英語を習得して米オルブライト大学へ進学。現地で空手教室を開き、教え子たちが後にCIAや米政府高官などになり、情報源となったという。卒業後は、ジョニーという友人と石油ビジネスを開始、エクアドルで10万バレルの油田を掘り当てるなど大成功を収めるも、作家活動に専念するため成功をあっさりと手放してしまうのだ。

 成功人生に加え、「ゴルゴ13」を彷彿とさせる謎に満ちた素顔がファンのハートを鷲掴みにした。そんな「落合信彦伝説」の代表的なものを以下に紹介しよう。

・CIAに200名の知り合いがいる。

・情報収集のためにつかう費用は年間3000万円、国際電話代は月に200万円以上かかる。

・襲撃に備え、レストランでは常に壁を背にして座る。

・車に乗り込む前は、爆弾が仕掛けられていないかチェックをする。

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