「大屋政子」夢の跡 病床でも浴衣にコマンドール勲章
「母が亡くなって17年、今になって母の取った行動には、全て意味があったんだと思うんです」
大阪・阿倍野区。亡き母が遺した帝塚山病院の理事長室で大屋登史子さんは、母・大屋政子(享年78)を振り返る。理事長机の椅子には、政子が愛用した、ショッキングピンクのカーディガンが今もかけられていた。もっとも大屋政子といえば、まず浮かぶのがミニスカート姿だ。
「存命中は母のミニスカートが本当に嫌いでした。『みっともないからやめて』と」
政子は必ず、こう返した。...