伝説のアウトロー「梶原一騎」 遺品に女優の緊縛写真
その作家は、心身を極限まで追い詰め、苛烈な勝負の世界に生きるストイックな求道者を能く描いた。時にそれは亡びの美学の追求となる。彼が生み出した主人公は、遠くにいる多くの老若男女(読者)を興奮させ、感涙させた。しかしその一方でこの稀有な天分の持ち主は、実生活でその身に防御の鎧を纏って人を寄せつけず、ペンばかりか“剣”をも懐に忍ばせ、近くにいる人間(家族や知人)を容赦なく傷つけた。もとより遵法意識が希薄で、激烈な感情が爆発すると、法の一線を容易に越える。アウトローと呼ばれた所以だ。
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「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」など不朽の名作を世に送りだし、いわゆる“スポ根”漫画を芸術の域にまで昇華させた梶原一騎。この“劇画界の巨星”が、警視庁捜査4課(当時。暴力団担当)に逮捕されたのは、昭和58年(1983)5月25日のことである。容疑は暴行と傷害。その前月、銀座の老舗文壇クラブ「数寄屋橋」で、少年マガジンの副編集長に殴る蹴るの暴行を加え、顔面切創で1カ月の重傷を負わせたのだ。
きっかけは、あるパーティーでの梶原のスピーチをめぐる話。副編集長が評した言葉の何かが気に障ったのか、梶原は「てめえ、生意気だ!」といきなり胸ぐらを掴み、右手で顔を殴りつけ、椅子ごと倒れたところに蹴りを入れた。柔道2段、空手5段の暴行である。
梶原一騎の本名は高森朝樹。11年9月4日、東京・浅草に生まれた。文芸編集者の父親を持つが、若い頃から素行に問題があり、感化院に入所。そこで読書に目覚め、作家を志した。
彼に対し、警察が追及した罪状は、先の事件だけではなかった。当時、世間を震撼させた「アントニオ猪木監禁事件」である。“世界一強い男”をホテルの部屋で監禁、暴行したというのだ。
「アントニオ猪木監禁事件と言われているけれど、猪木が部屋にいたのは、たった2、3分なんですよ」
当時、新日本プロレスの営業本部長だった新間寿氏は、今、意外な事実を明かす。
逮捕される前年の57年9月21日。その日、猪木の一行はプロレス興行のため大阪の高級ホテルに宿泊していた。一方の梶原は、会長を務める空手の「士道館」関西支部の道場開きのため、同じホテルに宿泊していた。
連絡があって、新間氏が呼ばれた部屋はスイートルーム。中には、梶原と士道館の師範、その門下生の男たちが5、6人。そして明らかに暴力団風の男が1人いた。
「そのヤクザ風の男が、いきなり “この野郎、お前は梶原の世話になっているのに、寛水流なんて勝手につくって、どういうつもりなんだ”と、怒鳴り始めたんです。“先生、これはどういうことですか?”と梶原先生に聞いても、“まあまあ、心配しないで”と言うばかり。それで“猪木を呼べ”ということになった」
寛水流というのは、その頃猪木が新たに立ち上げた空手団体である。やがてノックをして猪木が入ってくる。「てめえ、この野郎」「なんですか」「寛水流なんてやりやがって」「ああ、それは新間がやっていることだから、新間に聞いてください」。猪木はそう言うと、「失礼します」と言って、そそくさと部屋を出て行ってしまった。残された新間氏はその後、朝方まで延々と怒声を浴びせられ、チャカ(拳銃)をちらつかされ、恐怖の一夜を過ごした。
その男は後に、東声会という組織の幹部だったことが分かる。「タイガーマスク」の版権問題で揉めていたという説もあるが、新間氏は「それはなかった」と否定する。後日、梶原から「あいつはキ◯◯◯だから。悪かったな」と謝罪されたという。
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