加納典明が振り返る逮捕劇 卑猥とアートの線引きをした検察

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「国は何が猥褻と思っているか知りたかったから、性器のどこからが猥褻なんだって大真面目に聞いたんだ。俺がしつこく毎日のように聞くもんだから、担当の検事も大真面目に調べてきた」

 写真家、加納典明は往時をこう振り返る。エロスを追求した芸術と猥褻の境目はどこにあるのか。それがドラスティックに問われたのが、警視庁による典明の逮捕劇だった。

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「(勾留の)最後の日だったかな、検事が医学書の女性器のイラストを持って来た。そこにグリーンのマーカーペンで丸が描かれていたんだ」

 その検事の名は伊藤鉄男。後に東京地検特捜部長として鈴木宗男元衆議院議員の汚職事件の捜査指揮を執り、法務・検察の序列ナンバー4の最高検次長検事まで務めた検察のエースだ。

 典明が、猥褻図画販売の容疑で逮捕されたのは平成7年(1995)2月13日。検察に身柄を送られた彼は、取調室で伊藤検事と対峙することになった。

「イラストを見ると、恥丘の盛り上がり、いわゆるドテの中央辺りと肛門が、ぐるりと丸で囲まれていた。思わず“この丸、誰が描いたんですか”って聞いたら、検事が“俺だよ”って言って、顔見合わせて2人で笑っちゃったよ。マーカーで囲った部分を指しながら、“加納くん、ここから入らないでくれる?”って言われたな。くだらないけど、猥褻とアートに線引きがされたんだよな」

 問題とされたのは、前年に発売された雑誌「きクぜ!2」(竹書房)。公称70万部を誇った月刊ヌード写真誌「ザ・テンメイ」の総集編である。同誌は警視庁から「女性器そのものに焦点を合わせており、挑発的なポーズが多い」として、猥褻容疑で警告を受けていた。にもかかわらず、より過激な総集編を出版したことで、警視庁の逆鱗に触れたのだ。

「94年といえばバブルも終わって、警察としても俗的なものを取り締まっていこうとする底意みたいなものがあったんだろう。当時、俺はテレビにも結構出ていたし、ヘアヌードはバンバン撮っていたもんだから、スケープゴートにするには格好のタマだったんだよ」

 逮捕される約1カ月前、典明は九段下のホテルで記者会見を開いている。「桜田商事(警視庁)には桜田商事の考えもあるだろうが、やる時はトコトン、司法の場でやり合いましょう」という挑発的な記者会見だった。

「会見の前に控室で社長(竹書房の高橋一平社長=現・会長=)とアートディレクターの長友啓典と打ち合わせしていた。俺は『逮捕になった場合は、表現の自由ってのを守るために最高裁まで闘い続けたい』って言ったんだよ。一応弁護士にも相談して、裁判費用が2年間で2000万円くらいかかると言われていた。その値段も踏まえた上で、2人に“どうするんだ?”と聞いたら、両方とも『おう、やろう』と。そういう合意のもとに記者会見を開いたんだよ」

 ところが実際に逮捕された典明は、一転してすぐに非を認め、略式起訴で罰金50万円を払って釈放される。当時のスポーツ紙には「取調べ中に典明が泣いた」と揶揄する見出しが躍り、“腰砕けに終わった情けない典明”とのイメージが定着してしまった。その裏側には何があったのか?

「泣く訳ない。警察のデタラメなリークだな。あの会見で警察も感情的になったんだろう。社長の方にプレッシャーがかかった。俺の所に電話が来て、“どうやらあっちは本気だぞ。ついては加納、この事案を認めてくれよ。俺には会社がある、社員もいるし家族だっているんだ”と言い始めた。猥褻を認め、白旗を揚げてくれってこと。長友からも電話が来て、“堪忍してくれよ。頼む、もう30年来の付き合いじゃねえか”って。腹が立ったと同時に悩んだね。大見得を切ったのに、はい認めますじゃ男が立たない。でも結局、懇願されて、情にほだされちまった。社会的に俺は自分を失うことになるだろうけど、仲間を守ろうという方向に定めたんだ」

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