「日本橋」が空を取り戻す? 難題だらけの首都高地下化

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 首都高速という蓋が覆っていない重要文化財・日本橋を拝める日がやってくる。

 7月21日、閣議後の会見で、公明党の石井啓一国土交通大臣は、「日本橋の上に架かる首都高の地下移設に取り組む」と語った。

「元々、日本橋の首都高移設の検討を指示したのは、2005年当時の小泉純一郎首相。日本の道路の起点である日本橋の景観が取り戻されることに異論はないが、12年も放っておいた話が再浮上したのには、安倍内閣の人気取りなんて声も」

 とは政治部記者だが、諸手を挙げて喜ぶのは、名橋「日本橋」保存会である。

「長年の皆の願いが叶って喜んでいます」(事務局)

 初代日本橋が架けられたのは徳川家康が江戸幕府を開いた1603年。現行の橋は20代目で1911年に完成したもの。そこに首都高が覆い被さったのは、63年。翌年に迫った東京五輪のため、用地買収の予算も時間もない中、苦肉の策で川の真上に首都高を。

 前出の保存会が発足したのは、五輪が終わった4年後で、毎年の橋洗いや署名活動などに取り組んできた。

 ようやく空を取り戻す日本橋に課題もあるというのは建設業界紙記者。

「総工費5000億円とか報じられていますが、これは小泉首相の頃の試算。江戸橋から竹橋まで2・9キロの首都高を地下化というのも、06年に有識者会議が出した提言が元です。それによると地下鉄半蔵門線と近接。他の地下鉄も多く、川を横切るルートでもあり、構造も決まっておらずコストも不明。また東京五輪後の着工と言いますが、モタモタしていると首都高の老朽化は待ってくれません」

 首都高地下化を日本橋周辺の再開発に組み入れることができたのは、元々アベノミクスの第1次国家戦略特区(14年)だったからだ。第3次特区の今治市と比べると、計画の進み具合が遅かったお陰とも。だが、前出の保存会は意に介さない。

「日本橋は200年、300年と続いてきたお店が多いですからね。今の代で駄目でも次の代で実現します」

週刊新潮 2017年8月10日号掲載

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