「加計国会」の場外乱闘 「小さい」と「細かい」は同じこと? 

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激昂する質問者

 加計学園問題等を審議するための国会の閉会中審査が行なわれました。さまざまな質疑が行われる中、質問者の感情がもっともスパークした瞬間は、25日の民進党・桜井充参議院議員と山本幸三地方創生担当相の応酬ではないでしょうか。

 桜井氏が安倍首相に対して質問をしたところ、山本大臣が答弁に立ちました。

 まずは担当大臣の答弁を、ということで委員長が山本大臣を指名したからです。首相に答えさせろ、といったブーイングが飛ぶ中、山本大臣は、

「そういう細かいことを総理にお尋ねしても無理だと思います」

 と前置きをしたうえで答弁しました。
 
 ここで桜井議員が突如激昂します。

「いま、山本大臣、看過ならざる言葉を仰いましたからね。『そんな小さなこと』ってどういうことだよ! (略)失礼じゃないか!」

 桜井議員の怒りは相当なもので、その場は騒然。審議は一時中断し、委員長が山本大臣に言葉遣いを注意する事態にまで発展しました。

 文字に起こすとよくわかりますが、山本大臣は「そういう細かいこと」と言っているのに、桜井議員は「そんな小さなこと」と言っています。これを同じだ、と思う人もいるでしょうが、かなり違うと感じる人も多いのではないでしょうか。

 前者の場合は「あなたの指摘したような細部については」というニュアンスになりますが、後者は「あなたの言うような些末なことは」というニュアンスが強くなるからです。

 おそらく、桜井議員は前々から山本大臣の答弁姿勢に不信感があったのでしょう。

 しかし、だからといって他人の発言を脳内で変換してしまい、ニュアンスを勝手に変えて怒るというのは、行き過ぎかもしれません。現にネット上では、桜井議員への批判の声も上っています。

引用は正確に

 フリー記者の烏賀陽弘道(うがやひろみち)氏は、新著『フェイクニュースの見分け方』の中で、情報の発信者が信用できるか否かを見分けるポイントをいくつか挙げています。そして、そのうちの一つは、「正確な引用を行なっているか否かだ」と烏賀陽氏は指摘し、具体例としてフリーアナウンサーの長谷川豊氏のブログをめぐる騒動を取り上げています。

 2016年、長谷川氏は自身のブログの中で、NHKが放映した「子どもの貧困 学生たちみずからが現状訴える」というニュースを取り上げて批判しました。

 そのブログで、長谷川氏はこう書いています。

「私が違和感を感じたのは…この女子高生が特集の最後に言う言葉なんですけれど、『努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです』と話していた点なんです」

 この文章のあとに、「甘えるのも大概にしてほしい」と続き、この女子高生を批判する文章が並びます。

 この番組は、長谷川氏以外からも様々な批判が寄せられ、一時期話題になっていたものでした。そのニュース動画を見た烏賀陽氏は、すぐにあることに気づきます。長谷川氏のブログでの文章は間違っている、という点です。烏賀陽氏は、女子高生の発言を丁寧に書き起こしました。それが以下の文章です。

「お金という現実を目の前にしてもあきらめさせないでほしいです。その人の努力に見合ったものが与えられて手にできる、そういう世界であってほしいと思います」

 長谷川氏のブログにある女子高生の発言は正確な引用ではないのは明らかで、さらに要約としてもかなり乱暴であることがわかったのです。

 そもそも、知らない人も多いのですが、「引用」において、文章を改変することは許されていません。改変した時点で「引用」とは言えないのです。烏賀陽氏は、引用というもっとも簡単な「事実の正確性の維持」ができないような人は、報道を職業とする人間としては致命的だ、と述べたうえで、次の教訓を導いています。

(1)引用が正確かどうかで、その発信者が伝える「事実」の正確さが簡単にわかる。

(2)発信者が事実の正確さにどの程度注意を払っているかがわかる。

 つまり、引用がきちんとできない発信者は「フェイク」を発信する可能性があると見るべし、ということです。

 今回の桜井議員に、どのくらい悪意があったのかは外部からはわかりません。国会に限らず、日常生活でも「言った」「言わない」という不毛な言い合いの発端が、実はこういう「不正確な引用」であることは珍しくないのかもしれません。

デイリー新潮編集部

2017年7月28日掲載

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