世界遺産に3度目の立候補 佐渡島“金”“銀”ヒストリー

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 三度目の正直となるか。佐渡島(新潟県)が3年連続で世界遺産への国内推薦候補に名乗りを上げている。

 現在、世界遺産の総数は1052件(昨年7月)。すでに国内では法隆寺や姫路城などの文化遺産が16件、屋久島や知床などの自然遺産が4件と計20件が登録済みだが――。

「かつて金の国、ジパングと言われた日本が世界に誇る文化遺産が佐渡の金銀鉱山です。古くは平安時代の『今昔物語集』にも記されているほど、佐渡の金は有名でした。もっとも当時は砂金で、金山開発が始まったのは1601年、関ヶ原の戦いの翌年で、以来、江戸幕府の直轄地となり、徳川の財政を支えたのが佐渡金山です」(佐渡市)

 最盛期には年間400キロの金と40トンもの銀が幕府に納められた(採掘はそれ以上)、世界最大級の金山だ。

「その採掘は平成元年まで続き、残された記録だけでも78トンの金と2330トンの銀を産出しました。ノミとタガネで掘った江戸時代初期から、削岩機で海底より深く掘削した近年まで、総延長400キロに及ぶ坑道が年代別に見られるのは、世界でも非常に稀です」

 東京〜佐渡間よりも長い距離を金のために掘り進んだ。それゆえ人が集まった。初期の江戸の人口が十数万人だった頃、金山のある相川地区だけで5万人(一説には10万人)もいたという。日本のゴールドラッシュだ。

「ですから、娯楽も盛んでした。今も佐渡には35の能舞台が残っていますが、これは世阿弥が配流されたためとも、初代の佐渡奉行、大久保長安以降に広められたとも言われます。同様に、当時の佐渡は日本の三大遊郭の1つに数えられることも……、これは世界遺産とは関係ないのですけれど」

 配流(政治犯や思想犯)による公家文化、天領ゆえの武家文化の融合も見られる貴重な島だが、なぜ今まで選ばれなかったのか。

「構成資産の説明のわかりにくさや、来訪者の受け入れ態勢などを課題として指摘されたこともありました。でもそれも解決済みです」

 磨きをかけられた佐渡の金山遺跡。7月中には結果が判明する予定である。

週刊新潮 2017年7月13日号掲載

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