誰も長嶋さんに聞けなかった「あの期間」のこと 瀬戸内寂聴さんだけが聞いた
■ミスターが身を乗り出した
5月に95歳になった瀬戸内寂聴さんの法話の会では、来場した人たちからその場で悩みを聞いたり、質問を受けて答えるという対話を行なっている。単に話すだけではなく、時には聞き役となることで、相手の心をつかみ、ほぐしていく様は、さすがというところだろう。
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瀬戸内さんの新著『生きてこそ』では、さまざまな相手との対話にまつわる話がいくつも収録されている。なかから「質問」をめぐる印象的なエピソードを2つご紹介してみよう。
まずは瀬戸内さんの質問が、相手の心を動かしたケース。
あるとき、ミスターこと長嶋茂雄さんと瀬戸内さんはラジオ番組で対談をすることになった。まだ長嶋さんが脳梗塞で倒れる前である。そのときの様子を瀬戸内さんはこう振り返る(以下、引用は『生きてこそ』より)
「その日は初対面なのに、話が弾み、ラジオのスタッフが、今までで一番長嶋さんがリラックスして愉しそうだったと言ってくれた。
私は例によって無遠慮に『長嶋さんが野球を離れて10年ばかり流浪されましたね。あの時はさぞお辛かったし御苦労がおありだったでしょう』
と訊いた。スタッフがさっと緊張して息を呑むのがわかった。
長嶋さんはその時、上体を急にぐっと私の方に乗り出すようにして、
『よく、それを聞いてくれました。今まで誰に会っても、その件について触れてくれた人はありません。あの10年ほどの歳月は、私にとって実に重い辛い時でしたよ』
と言った。
心なしか目がうるんだように見えた。その間、各方面から仕事の誘いがあったし、巨人以外の球団からも、一つや二つでなく誘いがあったという。
『それでも私は、野球は巨人以外は考えられなかったので、どんな好条件を持って来られてもみんな断りました。その間、それはもう考えこんだし、前途を思うと暢気ではなかったのです』
と言われた」
このあと、長嶋氏は自身がホストの番組ながら、個人的な心境をたくさん語り、番組は大成功に終わったという。
他人に辛いことを聞くのは気が引ける。しかし、時に相手はそういう質問を待っていることもある、ということなのかもしれない。そして、数多くの人の悩みを聞いてきた瀬戸内さんは、無意識のうちに、そういう気持ちを察したということなのだろうか。
瀬戸内さんが感動した質問
一方で、瀬戸内さん自身が質問に感動したというエピソードも紹介しよう。
京都市内の小学校に出向いて、5、6年生相手に話をしたときのこと。すれちがう生徒がみな、にこにこして挨拶をしてくるような学校だったという。
1時間あまり話をして、質疑応答の時間に入った。生徒たちは次々手を挙げて、活発に質問をしてきた。いずれも話をきちんと聞いたうえでの質問が、瀬戸内さんには嬉しかったという。そして、1人の小柄な男の子がこう質問をした。
「家に病気でずっと寝ている人がいたら、どんなふうにしてあげたら一番喜ぶでしょうか」
瀬戸内さんは思わず、その子のそばに寄っていって、握手をした。
「こんなやさしい心を持つ素直な子供のいる限り、日本はまだ未来があると嬉しくなった」のだ。
そして、この子供たちが素直さをもって育つことを心から祈ったという。