韓国で拘束 「慰安婦謝罪碑」を書き換えた「実行犯」の独白

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■国士か、大馬鹿者か

 その人物とは、奄美大島瀬戸内町出身で沖縄在住の奥茂治氏(1948年生)である。奥氏は、1965年から1970年まで海上自衛隊に所属、その後は実業の世界に身を投じながら、予備自衛官や沖縄県隊友会(自衛隊OB会)幹部として、側面から自衛隊を支える。国防の現状を憂い、自ら「南西諸島安全保障研究所」を起ち上げ、情報収集や啓蒙活動にも取り組んでいる。

 メディアには滅多に登場しない奥氏だが、自衛隊関係者や沖縄の政財界ではかなり知られた存在だ。尖閣諸島に最初に本籍を移した「行動派」でもある。沖縄の裏事情を取材した経験がある者なら、誰でも一度や二度は奥氏の名前を耳にしているはずだ。「沖縄右翼の大物」と評する人もいれば、「沖縄の表も裏も知りつくした人物」と評する人もいる。

 筆者は今回の一件を知り、那覇市内にある奥氏の事務所を訪ねたが、奥氏は開口一番、「私のことは、〈国士か、はたまた大馬鹿者か〉と書いてください」と大笑いしながら語り始めた。

「〈謝罪碑〉を〈慰霊碑〉に書き換えたのは私です。清治さんのご長男から委任状をもらい、私が謝罪碑の件を一任されました。具体的な計画の立案や現場での作業は、すべて私一人でやりました」

「清治さんのご長男とは人を介して、比較的最近お付き合いするようになりましたが、こちらから勝手に押しかけたというのとは違います。ご長男の苦しみはよくわかりましたので、手伝えることがあれば、手伝いたいと思っていました」

■上に新たな石盤を…

 奥氏はいつから「書き換え」を準備し、どのように「決行」したのだろう。

「昨年の秋頃からです。当初は、ご長男の希望もあって単純な〈撤去〉を考えていたんですが、調査のため現場に行ってみると、重機がなければ撤去できそうもない。謝罪碑は、重量でいえば2トンほどありますからね。予め重機搬入の許可と撤去を申請すれば妨害が入るでしょうし、いきなり重機を搬入すれば、管理事務所との間でトラブルになります」

「そこで、謝罪碑の上に新たな石盤を貼りつける手があると思いついたのです。謝罪碑のサイズを測ったら、横幅120センチ、縦80センチ。そのサイズに合わせて〈慰霊碑〉と刻んだ新しい石盤を現地の石材屋に注文しました。総重量は90キロになるということで、3分割してもらいました。それでも一つの石片が30キロになる計算ですね。本番の直前に、沖縄で予行演習もしました」

 ***

 篠原氏の取材に対して「逮捕状が出れば出頭します。逃げも隠れもしません」「後は正々堂々闘うだけです」と語っていた奥氏。「新潮45」7月号では、決行当日の様子を中心に「実行犯」の声をさらに詳しく伝えている。

新潮45 2017年7月号掲載

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