韓国で拘束 「慰安婦謝罪碑」を書き換えた「実行犯」の独白
謝罪碑は慰霊碑と書き換えられた
韓国には、慰安婦問題を捏造した吉田清治氏の手になる謝罪碑がある。吉田氏長男の意を汲み、今年3月にそれを書き換えたのが沖縄在住の奥茂治(おくしげはる)氏だ。
韓国警察は捜査を続けていたが、この度、奥氏が現地で出頭し、6月25日に一時拘束された。奥氏の拘束は解かれたが、出国禁止措置がとられているという。「新潮45」7月号では、拘束直前に奥氏を取材した評論家・篠原章氏による記事を掲載。「実行犯」は何を想い、行動を起こしたのか――。(以下、「新潮45」7月号より抜粋)
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文在寅(ムンジェイン)韓国新大統領就任に伴い、従軍慰安婦問題をめぐる「日韓合意」があらたな局面を迎えるなか、この問題を外交問題・国際問題にまで拡大した責任の一端を負う故・吉田清治氏が自費で設置した韓国内の「謝罪碑」が、「慰霊碑」に書き換えられていることが判明した。
吉田清治氏が設置した謝罪碑には、以下のような文言が刻まれていた。
〈あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて 強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく 尊い命を奪われました
私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として 人道に反したその行為と精神を潔く反省して 謹んで あなたに謝罪いたします
老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して あなたの許しを請い続けます 合掌
1983年12月15日
元勞務報國會徴用隊長 吉田清治〉(原文はハングルに日本訳併記)
この長尺の謝罪文が、いつのまにか〈慰霊碑 日本国 福岡県 吉田雄兎〉というシンプルな慰霊文(原文はハングル)に変えられていたというのだ。「吉田雄兎」は清治氏の本名である。
この謝罪碑は1983年12月、吉田氏が自著の印税を元手に韓国・天安市にある国立墓地「望郷の丘」に建立したものだ。
■吉田氏長男が一任
吉田清治という一個人によって描かれたフィクションが、このように日本の「戦争責任」や「暴虐を極めた植民地主義」の根拠とされ、外交問題・国際問題にまで拡大するという「歴史」の重みに耐えかねた吉田氏の長男(1949年生)が、本誌(「新潮45」)昨年9月号の大高未貴氏のインタビューに答えて、「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」という悲痛な思いを吐露したのも無理からぬことだった。
が、吉田氏の長男は、日韓合意が成立し、朝日新聞が吉田清治関連の記事を取り消すという流れを受けて、「慰安婦像の撤去」ではなく、父・清治の建立した謝罪碑を書き換える道を選んだ。謝罪碑は、「強制連行の証人・吉田清治」の出発点であり、長男には、父の遺した唯一の「遺産」ともいえるものだからだ。
本稿で注目したいのは、実際に謝罪碑を慰霊碑に書き換えた〈実行犯〉の存在である。大高氏の新著によれば、吉田氏の長男はその人物に謝罪碑の「処分」を一任したというのだ。
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