“天才”藤井聡太、幼少時から見せていた「棋士の片鱗」 祖母語る

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 強いだろうとは思っていたが、まさかここまで“強い”とは――。昨年最年少でプロ棋士となった藤井聡太四段が、今なおデビュー以来の連勝街道を突っ走っている。栴檀は双葉より芳し。恐るべき中学3年生はどのように育まれたのか、14年11カ月の人生の棋譜。

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藤井聡太四段

 藤井四段は2002年7月、愛知県は瀬戸市の生まれである。

 住宅メーカー勤務の父と専業主婦の母との間の次男。父母ともに将棋を指さないが、祖父母から5歳の時に将棋を教わり、教室に通うようになる。続いて名古屋市の「東海研修会」に参加して腕を上げると、小4でプロ棋士養成機関「奨励会」に入会。スピード昇段し、昨年、四段に昇格した。

 現在は、名古屋大学教育学部附属中学校の3年生。部活に入らず、対局がない日は学校が終ると帰宅し、将棋の研究に勤しむ生活だという。
 天才と評される人物は、得てして、幼い頃から逸話に彩られるものだが、彼はどうだったのか。

 以前、本誌(「週刊新潮」)の取材に答えた母・裕子さんの発言を繙くと、こうある。

「聡太が歩けるようになったのは1歳2カ月、意味のある言葉を話せるようになったのは1歳6カ月くらいから。周りと比べてちょっと遅いかな。変わったことと言えば、小学校に入る少し前、ピアノ教室に通っていた時にこんなことがありました。8分音符というのは、4分音符に旗のようなものが1本付きますよね。聡太はピアノより“これは旗がいくつあるから何分音符だ。4分音符の何倍の速さだ”という計算が好きで、旗を20個くらい付けて、“これは何分音符だ”などと計算するのに熱心。音楽より数に興味があったようです」

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