中村勘三郎、周富徳…遺族が明かした難病「誤嚥性肺炎」の恐怖

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■「もういいかな」

 囲碁の藤沢秀行名誉棋聖(83)は09年4月、誤嚥性肺炎と診断されて入院。それまで骨折で入退院を繰り返していたのだが、妻のモトさんによれば、自覚症状はまるでなかったという。

「お医者さんが、肺に入ってしまうのでとにかく食べてはダメだというのです。『点滴で栄養が摂れますから』とのことでしたが、本人は『口から食べられないなら生きていても嫌だ』と、ずっと嫌がっていました」

 そう振り返り、

「肺は弱かったと思います。10代の頃に流行(はや)った結核にも罹っていて、タバコはピース缶で1日に何十本。いつもウイスキーを手にしていましたし……。でも、理由は年だからでしょうね」

 入院からひと月ほどで、名誉棋聖は息を引き取った。モトさんによれば、波乱の生涯とは好対照な、安らかな死に顔だったという。

 昨夏、鬼籍に入った野球解説者の豊田泰光さん(81)は、さらに急だった。長男の泰由(やすゆき)さんが言うには、

「その少し前から認知症を患っており、誤嚥性肺炎と診断されたのは8月11日。前日から39度の高熱が出て入院し、翌日には熱も下がってテレビで高校野球を観ていた。医師も『来週には退院できるでしょう』と言っていたのですが、14日になって父は『もういいかな』と口にし始め、その夜、眠るように亡くなりました」

“炎の料理人”として知られ、14年4月に没した周富徳さん(71)も、また然り。

「最初は13年の8月、夫が自宅でぐったりしているのを私が見つけたのです」

 とは、妻の節子さん。

「熱中症だと思い、コップに水を注いでストローで飲ませようとしましたが、スムーズに飲めない。救急車で病院に運ばれて点滴を受け、翌日、肺炎と診断されて入院しました」

 しばらくは病院でおかゆを摂っていたのだが、

「先生によれば、食べながらむせているとのことで、検査したら誤嚥性肺炎でした。で、10月には胃を切開し、管で直接栄養を摂る状態になった。胃ろうです。好物のアイスクリームも果物も禁じられましたが、その後は退院するまでに回復し、14年2月には介護付き老人ホームに入ったのです」

 が、3月下旬のある日、

「ベッドから起き上がろうとした時、気管に痰が詰まってしまって、容体が急変したのです。そのまま4月8日に息を引き取りました」

“現代の難病”は、底無しの闇である。

特集「がんより怖い『誤嚥性肺炎』を防ぐ完全ガイド」より

週刊新潮 2017年6月8日号掲載

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