憲法9条が自衛隊を押し潰した――元陸将が説く“PKO部隊で嫌われる日本”
■“ものを言えない”自衛官
「日報問題」が引き金となり、南スーダンPKOからの撤退を決めた自衛隊。5月27日には、最後の第11次隊が帰国し、撤退が完了した。そこに至るまで、国会では「戦闘はあったのか、なかったのか」などという神学論争に明け暮れた。現地の部隊が“戦闘”と記した以上、単なる殺人事件やヤクザの抗争ではなく、武装兵力同士の壮絶な殺し合いがあったのは事実だろう。
南スーダンに派遣された陸自隊員たちは、死と隣り合わせの危険な環境の中、国家の威信をかけ、懸命に任務を遂行していた。国会で日報問題が取り上げられて以降、彼らは、自らが置かれた厳しい環境を、客観的・正直に報告することをためらっていたはずだ。現実離れした論議を忖度して、ウソでもいいから政府の意向に沿った現地情報を出し続けていたことだろう。これが本当のシビリアンコントロールなのだろうか。
自衛隊の任務などに関わる憲法上の矛盾は、何時も“ものを言えない”自衛官にしわ寄せが来て、現場が無理やり取り繕う羽目になる。栗栖弘臣・統合幕僚会議議長の「超法規発言」はその象徴的な出来事だった。1978年7月、週刊ポスト誌上で「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」と有事法制の早期整備を促した。これが政治問題化し、時の防衛庁長官・金丸信に事実上解任された。
この5月23日にも、河野克俊・統合幕僚長が、首相の改憲発言を「非常にありがたい」と発言して問題となっている。立場上、許されないという批判もわからなくはないが、一方で、ほとんどの自衛官の「本音」であることは間違いない。
日本の政治家は、二言目にはシビリアンコントロールというが、戦後70年以上も安全保障に関して政治的無作為を続け、シビリアンとして為すべきことを放棄してきたのではないか。いていたに過ぎない。しかし事件の教訓を自らの肥やしにしてきたAには、「指揮を執った」と宣言する資格はあっただろう。
聞いた瞬間、M参謀長は豹変した。姿勢を正して立ち上がるや「本当か!?」と真剣な眼差しでAを見つめると、「座ってくれ」とソファーに案内した。隣国で戦争が始まろうとしている。しかもその国は化学兵器を保有していると囁かれていた。国連部隊は化学兵器を積んだミサイルの弾道下にあったが、それへの対処能力は殆どなかった。そこへ、世界史上稀な化学テロに対処した人物が(当然必要な装備や資材を持参して)来てくれたのだ。初めて“役に立つ日本隊”が来てくれたかと思ったのだった。
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