憲法9条が自衛隊を押し潰した――元陸将が説く“PKO部隊で嫌われる日本”
■南スーダン撤退で「PKO」派遣ゼロ!「憲法9条」が自衛隊を押し潰した(上)
「日報問題」で大揺れとなった自衛隊の南スーダン「PKO」派遣。撤退完了で、日本は「派遣ゼロ」の事態に陥った。国際貢献を阻む元凶は、紛争の実情と乖離した、古びた「憲法9条」にあるのではないか――。現場を知悉(ちしつ)する元陸将・福山隆氏の「正論」である。
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今から20年ほど前。国連PKO部隊の司令部に派遣された幹部自衛官Aは、ある悩みを抱えていた。着任した各国将校は、部隊の実権を握るM参謀長(某国の大佐)に真っ先に挨拶に行くのが暗黙の了解事項になっていたのだが、彼は“筋金入りの日本嫌い”として悪名高かったのである。
Aも通例に漏れず、着任後ただちに挨拶に赴くも、取り次いですらもらえなかった。数日後、ようやく訪問を許されるが、「部屋に入った瞬間から嫌な雰囲気だった」という。奥の机で高級なオフィスチェアーにもたれかかったまま、人を見下したような態度で一瞥しただけで眼を合わせようともしない。「思った通りの嫌な男だ」とAは思った。普通は手前のソファーセットに案内するものなのだが、そんな素振りは一切ない。Aは仕方なくM参謀長の机の前で直立不動、「気を付け」の姿勢で挨拶することになった。
M参謀長の日本嫌いには理由があった。それも立派な理由が……。
「日本隊は何かあると常に足を引っ張る。いざという時に役に立たないお荷物だ」
というのが、彼の口癖だった。軍事組織として、当該PKO部隊でも不測事態対処訓練が定期的に行われるのだが、そのたびに自衛隊は「それはできません」「これもできません」「その状況なら撤退します」と答えたのだという。自衛隊の関係者はその都度、国内法の制約があることを丁寧に説明したというが、それらの説明を“正しく理解した”M参謀長は、「日本隊は使えない」という“正しい結論”に達していたのだ。
「撤収準備に来たのか?」
横を向いたままの参謀長の最初のひと言だ(その頃、隣国で戦争が始まろうとしていたので本当にそう思ったのだそうだ)。Aがそれには答えず「先日着任した日本隊のAです」と自己紹介すると、参謀長は「お前の軍事経歴を言ってみろ」という。そこで初めて参謀長はAの目を見て「実戦の経歴を、な」と念を押した。日本の自衛隊が実戦経験などないことは百も承知の上での質問である。「なんとイヤミな……」とAは唇を噛み締めた。さすがに腹が立った。日本をここまで小馬鹿にするとは。「なめるなよ……」心の中で呟いてAは言い放った。
「俺は『地下鉄サリン事件』で対テロ戦の指揮を執った!」
ハッタリである。実は、Aは事件発生当時、私の部下であり、私の命令の下に動いていたに過ぎない。しかし事件の教訓を自らの肥やしにしてきたAには、「指揮を執った」と宣言する資格はあっただろう。
聞いた瞬間、M参謀長は豹変した。姿勢を正して立ち上がるや「本当か!?」と真剣な眼差しでAを見つめると、「座ってくれ」とソファーに案内した。隣国で戦争が始まろうとしている。しかもその国は化学兵器を保有していると囁かれていた。国連部隊は化学兵器を積んだミサイルの弾道下にあったが、それへの対処能力は殆どなかった。そこへ、世界史上稀な化学テロに対処した人物が(当然必要な装備や資材を持参して)来てくれたのだ。初めて“役に立つ日本隊”が来てくれたかと思ったのだった。
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