百田尚樹氏「講演会中止」に「共感」した有田芳生議員に集まる批判

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■言論弾圧と非難された議員

百田尚樹氏

 6月10日に一橋大学の学園祭で開催される予定だった百田尚樹氏の講演会が中止に追い込まれたことが、大きな波紋を呼んでいる。中止の理由は警備上の問題だとされているが、そもそも単なる講演会でそのような問題が懸念されること自体、異常な事態だと言えよう。

 この件に関連して、批判を浴びているのが民進党の有田芳生参議院議員である。

 和田政宗参議院議員は、ブログでこのように批判している。

「百田尚樹さんの一橋大での講演会が中止という由々しき事態に。
 有田芳生氏が中止を求める活動を支援拡散。
 まさに言論弾圧。
 日頃ことあるごとに『言論弾圧だ』と言う人達が、自らの意に沿わないものを躍起になって潰しにかかる。」

 こうした批判に対して、当の有田議員は、産経新聞の取材に対して「ネット上で行われていた署名(運動)に共感する一人として賛同しただけです」と答え、講演中止運動に「介入」なんかしていない、と自身の立場を主張している。

 有田氏が言うネット上の署名運動とは、「反レイシズム情報センター(ARIC)」という団体が呼びかけたもの。その呼びかけの冒頭には、

「一橋大学KODAIRA祭は差別禁止ルールをつくり、テロと差別を煽動する百田尚樹氏に絶対差別をさせないでください。または企画を中止してください」

 と大きく書いてある。

 有田議員が、この呼びかけを10万人近いフォロワーを誇る自身のツイッターで「賛同をお願いします」という文言とともに紹介しているのは事実である。「介入」をしたかどうかは言葉の定義によるが、少なくとも運動を広めるのに貢献したと言われても仕方がないところだろう。

 そして、有田議員も「共感」したことは認めている。

 ではなぜ、この行為が「言論弾圧」と批判されるのだろうか。

■無期限延期か中止を呼びかける

 ARICの呼びかけを読むと、同団体が百田氏の言動に対して強い反発、不信感を持っていることがよくわかる。

「百田尚樹氏は、悪質なヘイトスピーチ(差別煽動)を繰り返してきました」と述べたうえで、百田氏の過去の発言、ツイートを具体例として挙げている。

 そのうえで、呼びかけをこう締めくくっている。

「百田尚樹氏講演会『現代社会におけるマスコミのあり方』に関しては、百田氏が絶対に差別を行わない事を誓約したうえで、講演会冒頭でいままでの差別煽動を撤回し今後準公人として人種差別撤廃条約の精神を順守し差別を行わない旨を宣言する等の、特別の差別防止措置の徹底を求めます。同時にこの条件が満たされない場合、講演会を無期限延期あるいは中止にしてください」

 つまり、講演会に際しては、百田氏が「絶対に差別を行なわない」ことを誓約させ、さらに過去の発言を撤回し、今後の行動についても誓約をさせよ、それができなければ講演会を「無期限延期」「中止」にすべきだ、という主張である。

■団体側の懸念と主張

 この結論に至るまでに、団体側はかなり長い文章を書いているが、ここでは話をわかりやすくするために、主張をシンプルにまとめてみよう。

(1)百田氏の発言には差別的なものが多くあり、違法性すらある。

(2)このような人物が大学で講演会を開くと、差別を煽動する可能性がある。それをもとにしたテロすら懸念される。

(3)そうした発言をする可能性のある人物に、発言の機会を与えることには大きな問題がある。

(4)従って、予防措置を取る必要がある。具体的には本人の誓約であり、それが出来ないならば講演は許されない。

 こうした主張に対して、有田議員は「共感」をしたことになるのだが、ここで彼の普段の活動を知る人は、妙な違和感を抱くかもしれない。

 民進党所属の有田議員は、政府が成立を目指している「テロ等準備罪」の廃案を目指して、日夜汗を流している。反対の急先鋒と言ってもよい。当然、この法案についても「共謀罪」というネーミングを一貫して用いている。

■「共謀罪」はダメなのに

 この「共謀罪」に反対する人たちの典型的なロジックは以下のようなものだ。

「何が合法で何が違法なのか、権力側が恣意的に決めることができるのは危険だ」

「ちょっと不穏当なことを言ったり、思ったりするだけで取り締まりの対象にするのは危険だ。監視国家になってしまう」

「国民には思想、信条の自由がある。そうした内心にまで踏み込んで裁くのは危険だ」

 和田議員はじめ、有田議員の言動に一貫性を感じない人が違和感を持つのはこの点だろう。

 上の団体の主張をもう一度見てみよう。

 まず(1)の「百田氏の発言」が問題だ、と判断しているのは、あくまでもARICという団体や、その支援者、有田氏のような共感者であって、百田氏自身も含め「問題ない。まったく差別にはあたらない」と捉えている人も多くいる。つまり人によって見方が分かれているにもかかわらず、「問題だ」という意見のみを正解としたうえで、②~④の論理は展開されていることになる。

 その(2)~(4)は、それこそ「共謀罪」に反対する人たちがもっとも懸念する展開であろう。

 なにせ危ないことを「言う可能性」があり、それによって何かが「煽動」される可能性がある、だからその人の行動を予防的に「制限」せよ、というのだ。しかも、その発言が問題があるかどうかを決めるのは、どうやら団体側にあるということのようだ。

「居酒屋で、気に入らない上司を殴ってやろう、と盛り上がっただけで、警察の捜査対象になる可能性があるんですよ!」

 というのは、「共謀罪」反対派がよく用いていた例であるが、まさに有田氏はそうした行き過ぎた予防措置に対して「共感」し、その運動を拡散するのに一役買っていたことになるのではないだろうか。

歴史に学んでいるのはどちらか

 言論封殺の件について、百田氏は著書『大放言』で次のように述べている。

「我々は成熟した自由な社会に生きている。言論の自由のない共産国家で生活しているのではない。誰もが自由に発言できる社会のはずだ。『問答無用』で発言を封じるのはやめにしようではないか。

 かつて『五・一五事件』で、血気にはやる海軍の青年将校たちは、軍縮を進める犬養毅首相を射殺したが、『話せばわかる』と言った首相に対して、『問答無用!』と叫んで彼を射殺した。この事件の後、政府は軍部の暴走を抑えることができなくなり、やがて大東亜戦争に突入した。

 言葉の自由を失った国はやがて滅びる。皆が一斉に同じことを言い、一斉に誰かを攻撃する時代も同様だ。

 それにどこからも突っ込まれない意見や、誰からも文句の出ない考えというものは、実は何も言っていないのと同じだ。鋭い意見と暴論は実は紙一重なのである。

 だから、皆さん、もう少し心を大きく持とうではないか」

 有田議員をはじめとする「共謀罪」反対の人たちは、「戦前に戻る」ことを真剣に心配しているようだ。しかし、百田氏と有田議員のどちらが歴史に学んでいるのだろうか。

デイリー新潮編集部

2017年6月9日掲載

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