102歳。今なお「現在進行形」日本初の女性報道写真家・笹本恒子が見てきた戦後と未来

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 102歳という年齢ながら、いまなお現役で活躍する日本初の女性報道写真家・笹本恒子さん。1940年代、男性優位な社会の中で、女性報道写真家としてのキャリアをスタート。日独伊三国同盟から60年安保闘争など、戦中・戦後の歴史の節目に立ち会い、徳富蘇峰、加藤シヅエ、三笠宮ご一家、浅沼稲次郎、力道山ら昭和史を彩る人々にもカメラを向けてきた。従来のルールだけに縛られず、自身の感性と感覚で様々な撮影現場に挑んできた笹本さんは、時に現場の御法度を犯してしまうこともあったとか。

《戦後初のシルクフェアーが、丸の内の商工会館で開催された。マッカーサー夫妻のテープカット、各社カメラマンと並んで撮(うつ)したが、私のフラッシュバルブは発光しなかった。代わりの場面を撮そうと、会場に彼等を追って行った私は、豪華な絹織物を前に「ここで写真を撮らせてくださいませんか」と、声をかけた。2人は立ち止まり、マッカーサー夫人は織物に手をかけ、ポーズをとってくれた。その後で、新聞社の人から、天皇陛下とマッカーサー夫妻には、声をかけたり、ポーズを要求することはご法度(はっと)だといわれて驚いた》(『ライカでショット!』(笹本恒子・著)より抜粋)

 そんな激動の時代を撮影し続けてきた笹本恒子さんと、伝説の新聞記者・むのたけじさんの生き方を見つめたドキュメンタリー映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」(http://www.warau101.com/about/)が、6月3日に公開となった。

 初日舞台あいさつが、東京・目黒区の東京都写真美術館で行われ、笹本さん、むのさんの次男・武野大策氏、河邑厚徳監督が撮影秘話を披露した。むのさんは、昨年8月に101歳で他界された。

二十歳の恋人同士のようだった

 はじまりは、2014年4月、横浜で行われた笹本さんとむのさんの100歳対談がきっかけだった。当時の様子を、大策氏は「まるで二十歳の恋人同士のようだった」と振り返り、「若い時に出会っていたら、恋をしていたかも」と笹本さんは笑う。

 共に戦争を体験し、カメラとペンで伝えてきた2人のジャーナリストの生き様を追いかけて、100時間に及ぶ撮影が続いた。

 この日は白のパンツに襟元には色鮮やかなスカーフ、そして赤い縁のメガネというスタイリッシュな装いで登場した笹本さん。そんなおしゃれな笹本さんに、監督は「笹本さんのファッションはいつも素敵で、奇跡のレディです」と評した。

 笹本さんは、その若さと健康の秘訣は、「サプリメントよりも美味しい牛肉を食べること」と会場を沸かせた。そして、むのさんも、美味しい魚や野菜を食べることが大好きだったと、大策氏は振り返る。

 監督は、「現在の日本を見て、むのさんが何と仰るか伺ってみたい。高齢化社会となり、かつては50年だった人生が100年に延びた。どう生きるかは果てしなくむずかしい問題だ。むのさんは彼岸(ニルバーナ)に旅立つ最期までその姿を見せてくれた。その顔は、まさに涅槃像だった」と想いを馳せた。

 本作は、全国ロードショー。お近くの劇場で、2人のジャーナリストの人生と笑顔に出会ってほしい。

デイリー新潮編集部

2017年6月6日掲載

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