「島倉千代子」絶縁弟が孤独死 過去には姉を告発も
■「島倉一族の崩壊」
征夫氏自身も2年前、小誌(「週刊新潮」)の取材にこう述べていた。
「仲違いが始まったのは、1963年、姉が阪神タイガースの藤本勝巳選手と結婚を決めた時です。家族の反対を押し切ったので、身内は誰も祝福しなかった。その後、離婚し、私と音楽事務所を開いた後も、当時のパートナーと急に“独立する!”と言い出した。頭に来て、私が作詞作曲した『流し唄』の権利を“5000万円で買え!”と吹っかけたんです。そうしたら2000万円持ってきた」
女性誌に「私は姉島倉千代子にダマされた」と告発したことも。さらには、こんなことも語っていた。
「1987年に姉の敏子が自殺した時には“殺したのはあなただからね”と言いました。寂しかった姉が“会いに来てくれ”と何度も手紙を送っていたのに、千代子さんは一度も返事を寄こさなかったのです。暴露本を書いたことがあってね。『島倉一族の崩壊』というタイトルを付けて姉に“出されたくなかったら500万円で!”と言った。そうしたら“勝手に出せ”と言うので、あきらめたんです」
征夫氏は残る兄弟姉妹と疎遠、また息子たちとも絶縁状態にあったため、全員に亡骸の引き取りを拒否された。恋仲でもあった先の家主が葬儀を出し、島倉家代々の墓に納骨。葬儀の出席者は3名だったとか。
「体調がすぐれていれば引き取れたのですが……」
とは、姉の高相幸子さん。
「征夫がこういう最期を遂げたのも、千代子という大きな存在があったからなのか。そう思うと、何だかかわいそうな気がします」
姉が売り出して間もない頃は車に乗って全国を回ったよ。あの時が一番楽しかったな。またああして旅行にでも行きたかった……。
前出の取材の最後では、そうも述べていた征夫氏。
あの世で願いはかなったのだろうか。
ワイド特集「女と男の『劇場』」より
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