美空ひばり生誕80年 実妹が明かす「病魔との日々」

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 今も衰えを感じさせない加山雄三は、先日傘寿祝いのライブを行ったが、今年は美空ひばりの生誕80年でもある。彼女の死後、演歌歌手としてデビューした実妹の佐藤勢津子さん(78)が、美空の「病魔との日々」を振り返る。

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 まずは、佐藤さんに4月5日、東京ドームで行われた「生誕80年祭コンサート」について聞くと、

「私も良い席で見せてもらいました。色々な歌手が一部で『川の流れのように』、二部では『愛燦燦(あいさんさん)』を合唱。バックで往年の姉の映像が流れていた。私はそれを見て、若い世代の方々に姉のことを知ってもらおうと、こんな立派なコンサートを企画してくれたカー君(美空の長男・加藤和也氏)への感謝の気持ちが溢れてきて、涙してしまいました」

 美空は4人きょうだいの一番上。佐藤さんは次女で、その下に2人の弟がいた。

「姉とは、私が結婚する22歳まで一つ屋根の下に住んでいました。姉のことを尊敬する気持ちがある反面、美空ひばりの妹ということでずいぶん苦労もしました。ですから、結婚して家を出た時は『ようやく自分の人生が始まった』と思ったものです。姉は仕事が忙しく、私も家庭をもったせいで、ゆっくり会う機会がめっきり少なくなった。そうして時が過ぎ、久しぶりにじっくり話ができたのは、姉が済生会福岡総合病院に入院した時でした」

 88年6月のことだが、

「入院後、姉から『来てほしい』と電話があって。切符の手配や福岡まで同行してくれる方とか、全て姉の方から準備してもらい、お見舞いに行きました。病院について病室を訪ねると、姉は両足に重りを付けてベッドに横になっていたのです。まだまだ元気そうに見えましたが、体がボロボロだったんです」

 病名は、原因不明の両側特発性大腿骨頭壊死症。

「実をいうと、姉は9歳の時、乗っていたバスが崖下に転落し、死にかけています。あんな病気になったのも、バス事故で負った怪我と何らかの関係があるかもしれません」

■背中洗って

「その日は、付き人が急用で東京に戻ることになり、姉と二人きりでした。シャワーを浴びたいと言われたものの歩けません。考えた末、歩行器の上に板を置き、その上に彼女を立たせ、私がそれを後ろから押して風呂場まで連れていきました。姉はそれでも満足そうで。ドアの外で待っていると、『セッちゃん背中洗って』と声がしたので、洗ってあげました。その夜は色々昔話が弾んで、結局寝たのは明け方でしたね。元気になったらまた旅行に行こうと約束したのですが、ついに叶いませんでした」

 美空が間質性肺炎で亡くなったのは89年6月24日。

「その年の5月にも順天堂大学病院にお見舞いに行きました。でも、その時はもう、見るからに弱ってしまっていて、私もあまりのショックで記憶から抜け落ちてしまっています。私が歌手デビューしたのは、姉のファンや周囲の方の勧めもあったのですが、実際に歌ってみると、歌手として足元にも及ばない。改めて姉の偉大さを感じます。でも、無名歌手だからこそ、老人ホームや福祉施設で姉の歌を歌うことができますし、皆さんも喜んでくださる。それだけで私は歌手になって良かったなって思うんです」

 泉下で美空も微笑んでいるはずである。

ワイド特集「蝶よ花よと女の舞」より

週刊新潮 2017年5月4・11日ゴールデンウイーク特大号掲載

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