7億円を集めてタイへ逃亡! “超”女子力オバサン「山辺節子」のお花畑日記(上)

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■拘束時の心理描写

 実際、手記でも“モテ”について、陶酔したような文章を綴っている。

〈彼は健康的な若くはじけるような笑顔で降りてきた。会うのは二十日ぶりである。彼は両手で絵利子のほほを包み込みやさしいキスをした。絵利子の好きなしぐさのひとつだ〉

 先の空港の場面の続きである。車が向かったのは、彼が家族とともに暮らす家。天然芝の広い庭付きのその家は無論、山辺の“支援”によって建てられたものだ。しかし、彼女はこう書く。

〈謙虚な彼はしっかり働き念願の家を手にした〉

〈彼が言った。「結婚したい」と。「この家で一緒に暮らしたい」と。三十一才の彼の顔は男として家を建て絵利子を養っていく自信に満ちていた〉

 かように突っ込みどころ満載の手記なのだが、3月30日、自身が警察に拘束される際の心理描写と、明かされる「舞台裏」はなかなかに興味深い。その日、山辺は買い物に出かけ、ガソリンスタンドで給油。立ち去ろうとした時、警察官に取り囲まれた。

〈絵利子は直感した。捕まったと――〉

〈タイの出入国管理警察官五名その中のひとり女性警官が日本語で「セツコさんですね」と言った。山邉節子に戻った瞬間だった。彼女は続けて言った。もうすぐ彼が来ますと。絵利子は終わったと思った。彼は本名を知り、年令を知り、日々話した数々のことが加空だったと知る。資料を手にした警官にぐるっと包囲され絵利子はベンチに腰かけされていた。じわじわと日差しが強くなるお昼時のことだった。給油を終えた車が次々と走り去って行く。自由も時間も呼吸までも止まる。そんな感覚で絵利子は保然としていた〉

 そこへ困惑顔で駆け付けた、例の彼。

〈一年間、加空の絵利子を演じたことをわびた。すると思わぬ言葉が彼の口から放たれた。

「ナマエ、トシ知っていたよ」

「えっ、いつから?」

「サイショ、会った時から」

「どうやって?」

「パスポート見た」

「ホテル、フロントで」

「1955、君は61才だった」

「でも関係ない、若い。エリコ、若い」〉

 最初から本名も年齢もバレていたとは何とも滑稽だが、それでも彼女にはめげた様子はない。そして彼に「若い」と言われた、とさらりと自慢するあたりが「山辺らしさ」と言うべきなのかもしれない。

 身柄を拘束された山辺はウボンラチャタニからバンコクへと移送された。

〈収監された。身長を記すメモリが入っている白いボードの前に立たされ、前後左右の顔写真、両指の指紋採取、サイン数ヶ所、映画で見たことがあるようなシーンが続いた〉

〈金ぞく音をたてて鉄格子のとびらが開き節子は足を踏み入れた。これがいわゆる雑居房というのかな。たぶんそうだろう。十じょう程のタイルの床に八名と赤ちゃんふたり膝を曲げ床に直接横になっていた〉

“節子に戻った瞬間”以来、手記の主語も「絵利子」から「節子」になっている。

 ***

(下)へつづく

特集「タイ留置場で緊急執筆! “超”女子力オバサン『山辺節子』のお花畑手記」より

週刊新潮 2017年5月4・11日ゴールデンウイーク特大号掲載

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