原付バイクの覇権を争ったホンダ・ヤマハ「HY戦争」血風録

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■原付バイクの覇権を争ったホンダ・ヤマハ「HY戦争」血風録(1)

 50代以上の方なら聞き覚えがあるだろう。HY戦争――世界一のオートバイメーカー・ホンダと同2位・ヤマハが覇権を争い鎬(しのぎ)を削った販売戦争だ。当初は純然たる技術の競争だったが、事態は経営無視の販売合戦に。そこに何があったのか、40年を経て振り返る。

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ホンダの「ロードパル」
(PekePON/Wikimedia Commons)

“ラッタッタ!”

 日本のお茶の間のテレビに流れる、原付バイクに跨がったイタリアの大女優ソフィア・ローレン――。

 経済企画庁が“もはや戦後ではない”と経済白書に記してから20年、昭和51年(1976年)のことだ。

“ラッタッタ”という愛称は製品名「ロードパル」よりも世に広まった。

「ソフィア・ローレンをCMに使いたい。ホンダの販促部長にそう言われたけど、天下のソフィア・ローレンにツテなどなかったわ」

 とはテレビでコメンテーターとしても活躍するコーディネーターの加藤タキ。オードリー・ヘップバーンを日本のCMに出演させた実績が買われた。

「その時築いた人脈のおかげで話が進んだの。ローマの、新宿御苑くらいある広ーいソフィアの別荘にクレーンを持ち込んで撮影したのよ。監督は大林宣彦さん。もう時効だからいいでしょう。彼女の契約金はたしか20万ドル。映画並よね」(同)

 1ドル=300円の時代である。当時の金で6000万円であった――。

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