竹下元首相が慄いた「皇民党」からの攻撃 現党主が語る裏側

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■日程は筒抜けだった皇民党の「竹下登」ほめ殺し(下)

 右翼団体「日本皇民党」による竹下登元首相への“ほめ殺し”街宣は、田中角栄に反旗を翻し創政会を結成した一件がきっかけだった。「親を裏切るような人物が国のトップになるのは、教育上もおかしいではないか。そんな思いが先代(稲本虎翁・前総裁、91年4月死去)を駆り立てたのだろう」と語るのは、当時「総隊長」として現場を切り盛りしていた大島竜みん(王ヘンに民)総裁(現・党主)である。現職の自民党議員秘書たちから竹下のスケジュールを入手し、常時30人弱のメンバーが“風変わりなエール”を送り続けた。

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竹下登元首相(Nationaal Archief
/Wikimedia Commons)

 そんなネットワークを活用し、大胆不敵な行動にも打って出た。87年秋、元首相は同じ世田谷区内にある故・佐藤栄作元首相邸に転居。引っ越しの準備が進められているさなか、大島党主は、

「試しにその新居を訪ねてみた。警備の人もいたが、『手ぬかりなくやっているか』と、竹下登輝励会の名刺を見せたら正面からすんなり入れたので、各部屋を隅々まで見て回った。絨毯が敷かれ、応接セットが置かれた部屋の隣には、日当たりがよくて縁側のある和室。歴史を感じさせる庭にも出てみた。この景色を眺めながら先人は国を動かしていたのかと思うと、感慨深かった。そしてトイレには、料亭にあるような樽型の小用便器が2つ。何ごとも試さないとと思い、ここでも実際に用を足してみました」

 予期せぬ来訪は、むろん本人の知るところとなる。

「向こうからすれば、最も嫌な相手を家に入れたことになる。自分が引っ越す前に部屋を見られたとなれば、何をしに来て、何を仕掛けたのか、気味が悪くて仕方なかったはずだ」

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